時間をかけるべき事は何かについて松井秀喜に学んだこと
あっという間に2014年の1月も終わりですね。
年末年始にあれこれやろうと考えていた事は進んでいますか?
僕自身の反省としては、英語の勉強が30分×1回しか現時点で実行できていない事が挙げられます。はい、いつやるか?(\いまでしょ!/)
さて、正月ボケもそろそろ乗り越えた時期かと思いますが、時間が出来てしまうと人間というのは色んな事を考える訳です。それはポジティブなものもあればネガティブなものも多く、人の性格に大きく左右されそうです。僕の場合は体調とかによるかな。
そうやって思考を巡らせるのが人間の良い所でもあり悪い部分でもあると思うのですが、思考というのはいくらでも時間を費やせてしまうが故に、無駄になることも少なくありません。そこで、今日は私が松井秀喜に学んだことをご紹介します。(といっても、直接学んだわけじゃないですよもちろん)
悩みというのは人それぞれなのですが、それについて考えるか否かについては瞬時に判断をつけるようにしています。
それをはっきり意識するようになったのは、松井秀喜の言葉に出会った時でした。
自分で解決できることとできないことを分けて考えるようにしています。
つまり、自分が考えたり何かをしたりすることで解決できる可能性があるのかどうかを区別するのです。なんとかなるものであれば、解決しようと知恵も絞りますが、自分の力でどうにもならないものについては、あれこれ考えません。そうしたことをくよくよ考えるのは時間と労力の無駄だし、精神的にもあまりよくないことではないと思うのです。
どうやら出典は松井秀喜さんの著書「不動心」からのようですが、この言葉に出会ったのは何かのテレビを見ていた時だったと思います。
最近になって強く意識する事は時間の有限性なのですが、有限であるからこそその使い方にはシビアにならざるを得ません。
やりたい事、やっていること、勉強時間、運動時間、睡眠時間を足すと24時間越えてしまうので、うまく生きられてない。
— George:吉田丈治 (@geeorgey) 2014, 1月 26
こんな風に考えちゃうのですが、ここで言っているのは時間の使い方です。時間の使い方に関して言えば自分でコントロールが出来るので考える価値はあるのです。
逆に、過去の出来事をあーだこーだ言っても、今の自分は変えられません。あの時こうしていればという想像をしても、結果を伴うことは出来ないので無駄なのです。
自分が時間を使う対象は何か。それを考える上で、解決可能性がないものを相手にしないというのはシンプルな解決法だと思います。
なんでこんな事を書いたのかというと、こんなブログを見てちょっと思い出したんですよね。
過去を振り返るのはもうやめよう。未来のことだけを考えようって。だって、過去を振り返って、んー、あのときクビにならなかったらなぁ、とか、あの場に俺がもしいたらほんとはなぁ・・・、とかもしこうだったら、もしそうだったら、っていくら考えたって何の意味もないから。ここアップルでは、過去を気にするよりも、未来を創りだそう。
ジョブズが言ったことも、松井が言ったことも似てるんですよ。結局は未来を創ろうとする人にしか未来は掴めないのです。