夢は大学発のローバー開発、宇宙探査の次世代をつくる

夢は大学発のローバー開発、宇宙探査の次世代をつくる

石上 玄也 さん 博士(工学) 慶應義塾大学 理工学部 機械工学科 専任講師

大学生時代からフィールドロボティクスを専門に、MIT、JAXAという宇宙工学分野の第一線を渡ってきた石上玄也さんが次の研究環境に決めたのは、教育の現場である大学の研究室だ。2013年4月にスタートさせた研究室で、慶大・理工学部100周年の2039年を目標に、「月もしくは火星に探査ロボット(ローバー)を送りこむ」という目標を掲げて学生と共に様々な研究に取り組んでいる。

自分の論文を読んでいたボスを慕ってアメリカへ

月や火星など宇宙の極限環境においてロボットを動作させるためには、砂地や岩石の散在するオフロードでも走行可能な車輪の開発や、厳しい環境下でのロボット運用技術が必要となる。石上さんが学生時代から取り組んできたのはそうした極限環境を想定したロボットの力学解析と数値シミュレーションだ。石上さんは修士課程在籍中に様々な研究活動を通して自分自身の成長を実感したという。「あとさらに3年,博士課程において研鑽を積んだら,自分自身がどのような人間になるのか興味があった」というモチベーションのもと、博士課程に進学する。「進学した後のことはあまり考えてなかったですね」と笑うが、博士課程3年の初秋に同じ研究分野において著名な研究者であるマサチューセッツ工科大学のKarl Iagnemma氏にポスドク研究員の雇用の可能性を打診した。学生時代、氏の著書や論文を読んでいたためにアプローチした研究室だったが、なんと氏も自分の論文を読んでいたことを知る。面接,奨学金の獲得などを経て,2008年からアメリカでの研究生活をスタートさせた。

研究者としての姿勢をつくった海外、そして日本でのキャリア

アメリカでの研究環境は非常に刺激的であった。印象深かったのは、指導教員(アドバイザ)と対等の立場で議論する学生やポスドクの姿。彼らはそのテーマの専門家、という扱いを受けるので、緊張感を持って研究ができた。また、いくつかの研究プロジェクトに配属されたため、タスクを分配することも強く意識させられた。2年間のポスドク経験を経て、日本に帰国した石上さんは、独立行政法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)で3年間、研究員として働いた。JAXAでの仕事は基礎研究に加えて,宇宙探査プロジェクトへも従事すること。石上さんは、火星探査計画グループに加わり,火星表面を探査するロボットの検討に携わった。そのような宇宙開発の前線に身を置きつつ,次のステップを考えた時に浮かんだのが大学での教育だった。「長大な時間を要する宇宙プロジェクトと自分があと何年研究できるかを考えたら、自分の研究や技術,知見を次の世代に伝えることはとても大事だと思いました」。大学でのポストを探して、2013年4月から慶應義塾大学で研究室を持つことになった。

師に恵まれ、たどり着いた教員という仕事

研究室の運営、という新たなチャレンジを始めた石上さんにどんな研究室にしていきたいかを尋ねたところ、慶應義塾大学で伝えられる「半学半教」を目指したいと答えた。教師も学生も、教え、教えられる立場にある、という福沢諭吉の教えを表した言葉だ。「私は師に恵まれたと思います。東北大学に在学中、修士課程の修了式の日に挨拶にいった指導教官から『博士課程でも,一緒に勉強していきましょう。』と言われました。アメリカでも当時のボスと対等な立場で研究することができ、JAXA在職中の上司にも様々な機会を与えていただきました。今後も学生と一緒に考えながら私自身もまだまだ成長していきたいです」。宇宙工学一筋にキャリアを積み重ねてきた石上さん。置かれた環境に感謝し、真摯に研究と向き合う姿勢は学生に接するときも同じ。慶應義塾大学発の宇宙ローバーを目標に、ここから石上さんの研究に対する情熱を継承する仲間が巣立っていくことが楽しみだ。