理系人材が町工場を加速する 日々変化して、信頼を勝ち取る

理系人材が町工場を加速する 日々変化して、信頼を勝ち取る

村瀬硝子株式会社
代表取締役社長 村瀬 弘一 さん

「ガラス一筋80年」の村瀬硝子株式会社では一貫して、医療用の薬液を入れる容器やアンプルを代表とする医療用ガラス機器を製造している。移り変わりの激しい世の中において、ガラス業界も変革を迫られてきた。村瀬硝子も昔かたぎの町工場から改善改革を繰り返し、新しい会社へ生まれ変わった会社だ。既存の事業や企業文化を変革するコツは何なのか、三代目代表取締役社長村瀬弘一さんに聞いた。

昔ながらの製造ラインを立て直す

昔のガラス加工の工場は職人の腕がすべての世界。手吹きと呼ばれる手法で職人が丹念に1つ1つ作っていた。しかし、高度成長期からは機械の導入により、自動化が当たり前の時代に突入する。時代の変化の中で昔の作り方を続ける工場は淘汰された。日本の高度成長期が終わるころには、日本ではあらゆる医療器具がガラスから樹脂に移行、ガラス業界は需要低迷の一途をたどり始めていた。村瀬硝子も例外ではなかった。村瀬弘一さんが入社したのはそんな時代だ。当時社長だった父親が倒れたことにより、製薬会社に務めていた村瀬さんは急遽入社を決めたのだ。入社当時、村瀬さんが最も驚いたことは生産現場の実態だった。「当時は作業着もなくTシャツで仕事をしていて、規律も明確になかった」と振り返る。昔の職人仕事の雰囲気が残っている町工場では、まだ「品質管理」や「衛生管理」に対するルールが曖昧だったのだ。医療機器を扱う同社にとって、それらの信頼性を担保することは事業の要となる。村瀬さんはすぐに原材料管理や品質管理のルールをつくり、徹底した自動システム化に取り組んだと言う。

特許を強みに信頼を得る

|村瀬 弘一 さん プロフィール| 1970年千葉県生まれ、1993年日本大学法学部政治経済学科卒業、大手製薬会社勤務を経て、村瀬硝子株式会社入社。千葉県旭市にある村瀬硝子㈱旭工場で一年間現場修行。取締役企画部長を経て、2007年同社代表取締役社長に就任。他、2009-2013青経会会長(青年経営研究会)、関東アンプル工業組合理事。

|村瀬 弘一 さん プロフィール|
1970年千葉県生まれ、1993年日本大学法学部政治経済学科卒業、大手製薬会社勤務を経て、村瀬硝子株式会社入社。千葉県旭市にある村瀬硝子㈱旭工場で一年間現場修行。取締役企画部長を経て、2007年同社代表取締役社長に就任。他、2009-2013青経会会長(青年経営研究会)、関東アンプル工業組合理事。

村瀬さんが入社してもう1つ取り組み始めたことに技術の特許出願があった。この時代になると、医療関係の機器を製造し、自治体の薬務課の認可を受けるには、特許の取得が避けて通れなくなっていた。当時は特許に関する知識はなかったが、特許の基礎本を読み、徹底的に調べて必死で勉強を重ねていったという。村瀬さんが法学部出身で、法律に明るかった点もプラスに働いた。現在は特許の申請書を調べるための電子図書館があり、インターネット上で簡単に検索できるが、以前は直接特許庁に出向いて、特許の申請書を一言一句分析する必要があった。相手がどの技術を守りたいのかを徹底的に調べあげ、自分達はどこの特許を得られるのか試行錯誤で検討して取得できた特許が、村瀬硝子の強みになったのだ。現在では新規開発において、製品1つの中で3、4つの特許を取得しているそうだ。村瀬さんは「今では得意分野になりました」と笑って言う。今ある同社の特許は村瀬さんの努力の賜物といっても過言ではない。

改善改革の日々

社内の意識、管理のルール、新製品開発など、村瀬さんが入社して改善改革を唱えたものは数知れない。営業スタイルも変わった。以前はルート営業で求めるものを取引先から聞いて回っていたが、営業先を新規開拓し、新しい自社製品のプレゼンテーションをすることを徹底したのだ。その動きが実を結び、最近加速しつつあるのがヨーロッパからの受注である。同社では、加工時にガラス表面に付着する、人体に影響のある金属成分を洗浄した製品を販売している。その技術が買われ、スイスの製薬企業から数万ロット単位で受注が入ったのが始まりだった。現在、医療用機器の素材としていまだにガラスが多く採用されているヨーロッパ各国へ需要を伸ばしている。村瀬さんが大事にしているのは、「毎日変化して、変わっていくこと」。社内全体にもその意識を浸透させている。今までは世の中のニーズを聞いて提供してきた町工場。「変化」していくことで、世の中のニーズをつかみとる力が生き残りの鍵になりそうだ。

|村瀬 弘一さん プロフィール|

1970年千葉県生まれ、1993年日本大学法学部政治経済学科卒業、大手製薬会社勤務を経て、村瀬硝子株式会社入社。千葉県旭市にある村瀬硝子㈱旭工場で一年間現場修行。取締役企画部長を経て、2007年同社代表取締役社長に就任。他、2009-2013青経会会長(青年経営研究会)、関東アンプル工業組合理事。