生き物の俯瞰した理解を目指して 山田 拓司

生き物の俯瞰した理解を目指して 山田 拓司

山田 拓司 (やまだたくじ)さん 博士(理学)

東京工業大学 大学院 生命理工学研究科
           生命情報専攻 講師

測定機器や計算機が指数関数的に発展する現代では、 生物に関わる膨大なデータを適切に解析し、有用な情報 を発掘するバイオインフォマティクスの重要性が増して いる。とりわけ、ゲノム解析の分野ではこの傾向が顕著 であり、東京工業大学大学院生命情報専攻で講師を務め る山田拓司さんは比較ゲノム解析やゲノムデータベース 開発の最先端を担う研究者の一人である。21 世紀を代 表する分野と言われるバイオインフォマティクスの立ち 上がりから関わってきた山田さん。その尽きることのな いモチベーションに迫った。

この世の中を全て知りたい

小学生の頃から「ヘリクツ魔人」と呼 ばれるほどの論理タイプだった山田さ ん。高校まで文系クラスに所属していた が、「人って何だろう」という探究心を 満たせる学問は哲学でも宗教でもなく生 命科学による実証ではないだろうかと考 え、大学進学とともに理系に転向した。 大学では生物学を学び始めたが、「生物 の全てを知りたい」と期待していた山田 さんは、1 つ 1 つの酵素反応や分子機構 を学ぶ日々に違和感を覚え始めていた。 また、周りの学生たちが想像していたよ りも議論を交わさないことにも驚いた。 その満たされない気持ちが募ったのか、 3 年生のときに、休学してバックパック の旅に出た。発地のロサンゼルスで叩き 上げの英語を身につけ、メキシコ、NY、 スペイン、イスラエル、トルコ、パキス タン、タイ、中国等を巡り世界を一周し たのだ。広い世界を見て、異なる文化に 触れたときに彼が感じたことは「世の中 の全てを知ることは難しい」ということ だった。

論戦の場を求めて行き着いた世界

そんな山田さんが大学院で出会ったの がバイオインフォマティクスだ。生命が もつ個々のパーツに関する情報を集め、 統合するこの学問こそ、生命を俯瞰的に 理解することに近いと感じた。実際に大学院でバイオインフォマティクスを扱う 研究室へ移った山田さんは、「自分の居 場所はここで間違いない」と確信した。 2000 年前後に立ち上がったバイオイン フォマティクスの分野には、山田さんと 同じように生物を俯瞰的に議論したい多 くの学生が駆け込み、毎日のように熱い 議論が交わされていたのだ。自分に勝る ほどの論理派があちこちにいる環境で山 田さんのディベート力はみるみる鍛えら れた。最も興奮する議論ができた相手 は、博士課程を修了後に所属した、ドイ ツの研究室のボスだった。一端の研究者 としておもしろいと思ったアイデアをぶ つけても、ボスはさらに 100 倍もおもし ろいアイデアを返してくれたのだ。日本 に戻り自身が研究室を運営する身となっ た今、「いろんな事を知って、学生の 100 倍おもしろいアイデアを出せるよう になりたい」と意識するようになったの だ。

環境やアプローチを変え、道を開く

現在は人の腸内細菌の代謝経路や、真 菌類からの新規酵素遺伝子の探索をして いる山田さん。2000 年初頭、ヒトゲノ ム解読で一躍世に知れたバイオインフォ マティクスは、シーケンサーや計算機の 性能向上とともに発展してきた。しか し、最先端の現場から眺めると、十数

が経ってもなお黎明期に過ぎないと言 う。「あと50年は長生きしたい。10年 に 1 度革新が起こるとすれば、予想もつ かない革新にあと 5 回も出会えるから」 と話す山田さんは、「10 年後のことなん て分からない。まるで新作ゲームの発売 を待っているようだ」と期待感を表した。山田さんが求めていた問いに対してバ イオインフォマティクスというアプロー チで対峙できるようになったのは、自分 が追求するテーマを諦めずに環境やアプ ローチを変えてきたからだ。「座学だけ では自分に合う研究は見つからない。早 いうちから研究室に行って議論したり、 何かをやってみたらいい」と山田さんは いう。常に原点を見失わず、行動し続け ることで、その才能は、いつか開花させ ることができるだろう。

(文 安田翔也)

山田拓司さん プロフィール

東京工業大学大学院生命理工学研究科 生命情報専攻講師。ヒト腸内に共生する 細菌群集が織りなす代謝経路のデータ ベース化を通じて代謝産物を介したヒト と腸内細菌の相互作用の解明を目指す。 2006 年に京都大学理学部で学位を取得 し、京都大学特任助手、欧州分子生物学研 究所研究員を経て、2012 年より現職