究極の切れ味を追い求めて -石宏製作所- 墨田区

究極の切れ味を追い求めて -石宏製作所- 墨田区

石宏製作所
石田 明雄 さん
大量生産によって安価な品物が主流な時代に、コンピュータでは再現できないを一丁一丁手作りしている鋏職人がいる。作業場は自宅の一室。ここから人々の命を預かる、鋏が生まれていく。今回はそんな匠の世界を覗いてみた。

医療用鋏を作って40年

東京の鋏職人の仕事は、明治時代東京大学医学部がつくられたことから始まった。本郷周辺には医療機器屋や鍛冶屋が立ち並び、大いに賑わっていた。石宏製作所は、墨田の地で1970年に始まった町工場だ。石田さんの父親が広島から上京し、近所の鋏工場で修行後に創業し、それ以降、医療用鋏を作り続けている。「私たちは主に外科専門医の医療用鋏を製作しており、血管、口蓋剪刀、メッツェン、眼科用などの鋏を作っています」。医療用鋏と一口に言っても、先の丸いもの、尖っているもの、膜を剥がすための機能がついたもの、など様々ある。通常の規格のもののほか、専門医の特注で小児外科用など、特注のものをつくることもある

繊細な職人技が医療を支える

の製作工程では鋏の形に造形された鍛造物の刃を削ったり叩いたりして、噛み合わせに合う曲げや反りを加え、熱処理して硬度と粘りを生み出す。それを研磨して2つの刃を合わせて完成する。石田さんが担うのは、熱処理をして削り、叩く部分だ。「鋏は、刃があるから切れるわけじゃなくて、噛み合わせで切れるんです。だから、噛み合わせが一番重要なんですよ」と石田さんが語るように、この噛み合わせをつくる加工が最も職人技を要する作業である。手の感触を頼りに、微妙な曲がり具合や反り具合を削ったり叩いたりして調整していく。ひとりひとりの職人の感覚が大事なこの仕事は、多くの人で分担して捌くことは難しい。たいていは1−2名の家族経営で、石田さんも、今はたったひとりで月に200〜300丁の鋏をつくり、使い込まれた鋏を修理する。1人前になったと自覚できるまでに、石田さんは10年以上かかったという。今では同業者から信頼される、超一級の切れ味の鋏をつくれるようになった。

一丁の鋏とじっくり向き合う

石田さんが石宏製作所に参加したのは1992年23歳のとき。プラモデルなどものづくりが好きな子ども時代を過ごし、工業高校卒業後レタリングの会社に勤めていたが、先代が立ち上げたこの会社をいつかは継ぎたいと考えていた。転機となったのは働き出して3年目。会社を辞め、ついに継ぐ決心をする。しかしその裏には驚くべききっかけがあった。「大好きなウインドサーフィンをしに、友達と1ヶ月海外に滞在しようということになって。会社を休むわけにいかないからこれをきっかけに家業を継ごうと思ったんです」。人生を素直に楽しむ石田さんらしい転機だ。しかし、入門して6年目、29歳のときに先代が亡くなってしまう。「まだまだ自分は一人前からは程遠くて。同業者の先輩に修行をさせてもらって、やっとひと通りのことができるようになりました」。問屋の注文のほか、石田さんに修理してもらいたい、という人やこんな鋏をつくりたい、という人が一丁から鋏を携えて、作業場を訪れる。研究で特別な鋏が必要になったら、自分の勘が唯一頼りの研究現場とは全くことなる職人の世界に、あなたも足を踏み入れてみてはどうだろう。

|石田 明雄 プロフィール|

墨田区の認証事業「すみだモダン」に2011「はさみ」2013「無垢鋏」が認証されました。 2012東京スカイツリーオープニングテープカット時には、「裁ち鋏」が使用されました。 昨年には、フランスのセレクトショップ「メルシー」より注文が入り、家族で大喜び致しました。 これからも、「石宏製作所のはさみ」のファンを広げていきたいです。