脳科学でわかってきた「からだで覚える」方法 今水 寛

脳科学でわかってきた「からだで覚える」方法 今水 寛

箸を使って豆をつまむ,ナイフを使って鉛筆を削る。これをロボットアームにさせようとすると,指や手首などひとつひとつの関節の位置がどう移動するかを座標計算によって求める必要があり,とても大変だ。ところが,人は道具の扱いを練習すれば,いずれ無意識にでもできるようになる。これを可能にしているのが「小脳」だ。

脳の今の活動が目で見える

私たちは,どのようにして新しい道具の使い方を覚えているのか。どうすれば,より早く覚えられるのか。ATRのさんは,機能的核磁気共鳴画像法(fMRI;functional Magnetic Resonance Imaging)を使って,人が運動を覚えるときの小脳の働きを解明しようとしている。

ヒトの脳は,からだの生命機能を維持する脳幹,速くなめらかな運動を司る小脳,何かを考えたり感じたりする大脳など,部位によってそれぞれ異なる役割を担う。fMRIを使えば,脳のどの部分が活発に働いているかを,血流量の変化によって見ることができる。

fMRIを使って脳が刻々と変化する様子をfMRIで初めて見たとき,今水さんは「これだ!と思った」と言う。もともとは,ある運動を意識せずにできるようになるまでの過程を,心理学の分野で研究していた。fMRIに出会った今は,人が学習するときの脳の変化を実際に見て,そのしくみを解明する研究に没頭している。

「からだで覚える」ための場所がわかった

運動を学習するしくみを解明するために,今水さんが編み出したのは,コンピュータマウスを使った実験方法だ。そのマウスを右に動かすと,画面上のポインタは,反時計回りに120°回転した方向に向かって移動する「回転マウス」だ。これなら,通常のマウスを使い慣れている人に対しても,新しい「道具」として使い方を学習させることができる。

実験では,回転マウスを使って画面上でランダムに動く標的をポインタで追ってもらう。そして,この新しい道具に慣れるまでの脳の活動の変化を,fMRIで調べるのだ。実験の結果,使い始めは小脳全体が活動するが,慣れるにつれて,特定の場所だけが働くようになることがわかった。しかも,いくつかの場所が同時に働く。

異なる動きを覚えるとき,小脳の働く部分の位置も変わる。どの道具を使うときも同じ場所を使うならば,以前に覚えた動きがどんどん上書きされてしまう。人がいくつもの道具を使い分けられるのは,ひとつの動きに対して小脳のさまざまな部分を活性化させ,その組み合わせによって記憶しているからのようだ。

新しい道具を早くマスターするには

いろいろな道具を器用に使いこなせるようになるにはどうすればよいか。今水さんは,ある動きの学習に,それと似た動きが与える影響を調べた。実際のマウスを動かす方向とポインタの動く方向の差が60°と160°の回転マウスをあらかじめ学んだ人が,110°の回転マウスを使いこなすまでの小脳の活動と学習時間を測定した。すると,始めから小脳の活動部位が限られており,学習時間も回転マウスを初めて使う人より短かった。似た動きをする際には,小脳の活性化する部分も重複するものが多くなる。つまり,さまざま道具を経験しておくと,新しい道具を使うときに学習済みの要素を使える確率が増えるのだ。道具を使えば使うほど,次の学習が効率化する。

手探りで突き進む脳研究

小脳と運動の関係は少しずつ解明されつつあるが,まだまだわかっていないことの方が多い。今水さんは,箸やナイフなどの16種類の道具について,その使い方をイメージしたときの小脳の活動パターンを解明したが,なぜその部分が働くのかは,まだ明らかになっていない。「小脳や大脳をfMRIで見ると,活性化している部分が本当に刻々と変わっていくんです。なぜこんなふうに変わっていくのか考えると,おもしろいですよ。複雑すぎて,少しでも実験の条件が違うと結果も違って見える。でも,どれも正解なんです」。今水さんは,脳研究という道なき道を,静かに,熱く突き進むフロントランナーであり続ける。

脳育体験応援プロジェクト

ビクトリノックス科学教育・研究を推進している株式会社リバネスと,世界中で使われているマルチツールのメーカー,スイス・ビクトリノックス社の日本法人ビクトリノックス・ジャパン株式会社は「脳育体験応援プロジェクト」を立ち上げます。人類の進化に大きく影響を与えた「道具を使う」ことと脳の関わりを中心に,最先端の脳科学研究を推進・発信する活動を応援していきます。

提供:ビクトリノックス・ジャパン株式会社