従うべきは、自分自身の好奇心 黒木 暁彦
自身の専門分野と異なる領域に興味を覚えた時、一足飛びできる勇気を持っているのは一握りの研究者かもしれない。大失敗するかもしれない。これまでの積み上げが通用しないかもしれない。ロート製薬株式会社の黒木暁彦さんのキャリアはそんな不安な気持ちに対して「それでもいいじゃないか」と教えてくれる。
生き物への好奇心の先に研究があった
子どものころから豊かな自然に囲まれて、魚釣りや昆虫採集にのめりこんだという幼少時の黒木さん。より多くの昆虫をどうしたら捕まえられるだろう、と図鑑を調べていくうちに、生き物の生態に詳しくなっていった。自分が知らないこと、疑問に思ったことを調べて、周りの人に話すのが大好きだったらしい。遊びの延長で出会ったのが、科学だったのだ。
生き物のことをもっと知りたい。その思いを膨らませていくうちに、辿り着いたのが、免疫の研究だった。独立しているはずの細胞が、血液を通して1つのネットワークとしてつながり、細菌やウイルスと戦うための装置になっていることが面白い。薬学部で免疫の勉強をしていくうちに、もっと本格的に免疫を学びたい、と考える様になった。そんなとき、ある医学冊子に掲載された、京都大学の湊長博先生の研究の記事が目に留まる。当時自身に馴染みのなかったフローサイトメトリー技術を使用して、特定のタンパク質を発現する細胞を選択的に解析していた。これほど鮮やかに細胞を理解することが出来るのかと、驚いた。「この人の元で研究したい」。直ぐにメールを送り、1週間後には研究室を訪問した。
一本道で来た歩みを変えてみよう
湊先生の研究室で、大学院生としてT細胞の胸腺での発生について研究する日々が始まった。「本当に複雑な発生系で、理解すべきことは山のようにあった」、と楽しい時間を振り返る。しかし、5年間かけても博士号を取得できなかったとき、決断を迫られた。あと1年残るか、別の選択肢を考えるか。黒木さんはそこで、アカデミアを出ることを選んだ。自分の専門領域ができ、企業の人や異分野の専門家と対等に話せるようになったとき、「ふと、それまでの自分は免疫のことばかりで一本道だったなと感じた」という。もっといろんな研究を知って、世の中を知って、そこから研究にまた戻っても遅くない。より多くの研究者とコミュニケーションできる仕事をしてみたいという気持ちが生まれ、博士号へは遠回りとなるがバイオ・医学専門の出版社へ就職した。黒木さんが大学院を選ぶ転機となった雑誌をつくっている出版社だった。
直感でたどり着いた、ゼロからつくるワクワク
出版社に就職し8か月が経ったころ、知人から、ロート製薬株式会社が再生医療分野の研究者を探しているという紹介を受けた。自分にとって未知の領域である再生医療の世界。自分が生まれたころはまだ夢物語であった研究。黎明期の混沌さに惹かれた。就職してまだ間もない中での転職に、葛藤もあった。周りに迷惑をかけるかもしれない。しかし、いずれは戻ることもあるかもしれない、と考えていた研究の世界。直感で、今このチャンスをつかむべきだと思った。「未だに社会人として、正しい判断だったかはわかりません。けれど、とにかく解決すべき課題が溢れるほどあることはわかっていました」。退職を告げ、会社を去るときまで、社長は自分の決断を応援してくれた。
現在は同社でヒト由来の間葉系の幹細胞を用いた培養系の確立や、安全性の担保などの基盤研究を進めている。難治性疾患をターゲットにした再生医療製品の開発を見据えているが、そこへの道筋はゼロからつくらなければいけない。黒木さんはそんな困難に自分自身が取り組めることに素直にワクワクしている。自分の本当のやりたいことに素直に向かう。好奇心旺盛な少年がたどり着いたのは、やりがいだらけの毎日だ。
黒木 暁彦さん プロフィール
宮崎県生まれ、九州大学薬学部総合薬学科卒。京都大学大学院医学研究科医科学専攻修士課程修了。同大、大学院医学研究科医科学専攻博士課程、単位取得退学。バイオ・医学系の専門出版社において編集業務を経験した後、現職。