あなたはなぜあの人を見たのか、説明できる? 小濱 剛

あなたはなぜあの人を見たのか、説明できる? 小濱 剛

 テレビを見ていて文字が表示されたり,スマートフォンの画面を見ているときにメールの通知が表れたりすると,その場所を無意識に見てしまう。学校で廊下を歩いているとき,すれ違う人の中に気になっている人がいたときも,視線がその人の方にすっと向くだろう。なぜそんな動作が自然に起こるのか,あなたは説明できるだろうか?

眼が動く不思議

身の回りにあふれるさまざまな情報の中から,自分が関心をもつものだけを処理対象として選ぶ機能を「注意」という。近畿大学の小濱剛さんがこのテーマに興味をもったのは,大学院時代の研究で,画面上に表示される文字を見る眼の動きを調べているときの発見だった。視線が向いた位置と,読み取られた文字の位置が違っていたのだ。「視線を動かす前に,移動先にある情報を脳が先読みしているのだろうか」。「何かに視線を向けられるとき,どのようにして眼はコントロールされているのだろう」。小濱さんはさまざまな疑問をもち,教科書や論文を読みあさった結果,「注意」の機能が関係しているかもしれないことがおぼろげに見えてきた。「注意の全体像を語れるようになりたい!」。そう思った小濱さんは,眼の動きを計測することで「注意のメカニズム」を解き明かしたいと考えたが,それだけでは不十分だった。眼で見た情報を処理して,どこに注意を向けるべきか決めているのは脳だからだ。しかし,頭蓋骨の中にある脳を生きたまま直接計測するのはとても難しい。そこで,小濱さんは,神経細胞のネットワークをモデル化し,計算科学の手法を用いて,脳の視覚情報処理のメカニズムを解き明かしていこうと決めた。

2つの注意に潜む謎

注意には,「受動的な注意」と「能動的な注意」の2種類がある。眼に飛び込んできた画像情報の中には、目立ちやすさの分布があり,そのピーク付近に自然に関心を向けるのが「受動的な注意」だ。一方,状況判断に必要とされる特徴をもっているものを意図的に探すときに使うのが「能動的な注意」。私たちは,これらの2つの注意を組み合わせることによって外の世界を知覚している。そのため,注意の全体像を理解するには,両方のしくみを解き明かさなければならないのだ。「受動的な注意」は,コンピュータ上でもかなり再現できており,そのしくみが明らかになりつつある。しかし,「能動的な注意」はそもそも,状況に応じた対象がどのようにして選ばれるのかすら解明されておらず,ゴールが見えないテーマとなっている。

そこで小濱さんは,似たようなかたちをした複数のものの中から,ある特徴をもったものを探すときの「視線の動き」をシミュレーションすることにした。

▲先生が研究に使用する脳の活性部位を見る装置。この他にも脳を多角的に研究するための装置がラボには揃っている。

▲先生が研究に使用する脳の活性部位を見る装置。この他にも脳を多角的に研究するための装置がラボには揃っている。

仮想の眼と脳で視線を再現

まず,過去のさまざまな研究論文を紐解いて,視覚的な注意に関わる前頭葉や頭頂葉などの働き方を調べ,これを数式で表すことで「眼の操作に関わる脳の情報処理モデル」をつくる。そのモデルに画像情報を入力すると,神経細胞間の情報伝達が生じて,その結果引き起こされる眼の動きを再現することができるのだ。

小濱さんが特に注目しているのが「視覚探索」中の眼の動きだ。「同じかたちの短い棒がたくさん並んでいる中から,ひとつだけ傾きと色が異なるものを探してみてください」。脳の視覚システムは,まず,特徴に近いものがありそうな場所に注意を向けて先読みし,次に視線を移動させ,目標とするものかどうかを判断する。見つからなければそこから注意をいったん外して,別の候補となる場所に注意を移動させるということをする。これをくり返すことで,目標の発見に至るのだ。同じ課題を仮想モデルに行わせたところ,人とよく似た眼の動きをつくり出すことができた。視線をある場所から別の場所に向けるという,一見すると単純で簡単そうな動作でも,脳の中では複雑で高度な処理が行われているのだ。

一歩ずつ,「注意のすべて」を解き明かす

注意のしくみをひとつひとつ推測して再現していくことで,注意に関わる脳の領域全体がどう動いているのかを,少しずつ予測していくことができる。それによって,いつの日か,私たちが人ごみの中から友だちを見つける際に脳内で起きている情報処理の全貌が説明ができるようになるだろう。

小濱さんの研究は,シミュレーションによる予測にとどまらない。眼科や脳外科の研究者と一緒に,眼に疾患をもつ患者の眼球運動を計測したりするなど,さまざまな観点から眼と脳を理解しようとしている。注意のしくみは,まだ断片的にしかわかっていない未完成のパズル。「いつか注意の全体像を解き明かしたい」という想いをもって,小濱さんはこれからも少しずつ,ピースを埋めていく。 (文・田浦 優磨)

小濱 剛(こはま たけし)プロフィール

1997年3月,豊橋技術科学大学大学院システム情報工学専攻修了。同年,愛知県立大学情報科学部助手。2005年4月より近畿大学生物理工学部講師,2013年より現職。注意機能の全貌解明を目標にして,眼球運動生成メカニズムにおける視覚的な注意の機能に関する研究に従事しており,認知プロセス中の眼球運動や脳活動の計測と解析手法の検討や,注意の神経細胞ネットワークモデルによるシミュレーション解析などに取り組んでいる。