人工ファージで世界を救う 安藤 弘樹
正十二面体の頭部,6本脚と,細胞に穴をあけるドリルを持つ恐ろしいかたちをしたバクテリオファージ。教科書でもお馴染みのウイルスだが,21世紀の技術で,細菌感染症治療に役立つものに生まれ変わるかもしれない。
細菌の力を奪い,殺す
ファージは感染した細菌を殺す。細菌に取りつき,細胞壁や細胞膜に穴を開け,自身のゲノムを注入する。ファージは,細菌自体の機能を奪ってゲノムをコピーする。これが設計図となって,細菌の中で子ファージが増殖する。そのまま増殖が続き,溶菌酵素の発現とともに最終的には細胞壁を破壊し,中から周りに飛び出す。これを溶菌といい,ファージは溶菌させて細菌を殺す。
日の目をみないファージセラピー
この細菌を殺す性質を使って,人に危害を及ぼす細菌だけを殺せないか。このように考えた研究者は,約100年前から存在していた。その方法には「ファージセラピー」という名前がつけられ,熱心に研究された。しかし,実際に「効く」と認められる治療法にはなかなかたどり着かず,広まらなかった。さらに,ペニシリンといった抗生物質が見つかり,世界中で感染症に苦しむ人々を救い始めたころから,すっかり忘れられるようになってしまった。
21世紀の技術で復活なるか
そんな「ファージセラピー」にまた注目する時がやってきた。マサチューセッツ工科大学で研究している安藤弘樹さんは,次世代ファージセラピー技術を開発した。この十数年の間に,ファージの設計図の解読が急速に進み,細かい種類違いの設計図もたくさん共有されるようになった。さらに,DNAを人工的につなげていって,望みの設計図をつくることすら可能になった。この技術を用いて安藤さんは大腸菌に感染し,強い溶菌力を持つファージの脚の設計図をつくり変え,クレブシエラ菌やエルシニア菌という別の細菌に感染するものにつくり変えることに成功している。設計図のなかで脚の部分は全体の4%ほどを占める。DNAをつなげて設計図を合成してしまう技術はいま日進月歩で発達しており,数年後には100%人工デザインのファージをつくることも可能になってくるだろう。そうすればどのようなファージでもつくり放題だ。どのような細菌がやってきても,それをやっつけるファージをつくることが可能になってくるだろう。
新しい問題に立ち向かう
最近の医療現場では,抗生物質の開発が進んだ一方で,それらが効かない耐性菌が登場してきていることが問題になっている。耐性菌に効く新しい抗生物質を見つけるにはとても時間がかかる。人工ファージならば耐性菌をやっつけられるものをデザインしてくり返しつくることができる。安藤さんらの技術は,人類がかつて経験したことのない新しい病気に,いち早く治療法を届けてくれるかもしれない。 (文・篠澤 裕介)
安藤 弘樹(あんどう ひろき) プロフィール
大阪大学大学院医学系研究科で学位取得後,国立国際医療研究センターを経て,日本学術振興会海外特別研究員としてMITへ留学。博士課程在籍時に,バクテリオファージを用いた細菌感染症治療法(ファージセラピー)を知り,当該領域で研究したいという思いを抱き続けてきた。現在,MITで合成生物学的手法を用いた人工ファージの創出と応用研究に従事。自身の研究成果を元にした次世代ファージセラピーの事業化を模索中。