ブラウンオーシャンの大航海時代が始まる 福田 真嗣 @browngems

ブラウンオーシャンの大航海時代が始まる 福田 真嗣 @browngems

テレビをはじめ様々なメディアに取り上げられ、社会からの高い関心が寄せられる腸内細菌研究。その最先端を牽引する研究者のひとりである福田真嗣氏は「腸内環境情報のメッセンジャーである便は茶色い宝石」と笑顔で語る。新しい研究コンセプト「メタボロゲノミクスTM」を提唱する福田氏が実現したい社会とはなんだろうか。

腸内に広がる小宇宙が健康とつながる

 成人の腸には腸内細菌がおよそ1000種類、100兆個、その数は37兆個と言われる体細胞の約3倍にのぼる。この膨大な微生物の集団は腸内細菌叢と呼ばれている。腸内細菌叢を構成する微生物群を解析する時の困難さの一つは、一つ一つの微生物を分離して解析することが難しいところにある。これが、今まで詳細な解析を阻んできた。しかし、この10年ほどのうちに起こった技術革新で、遺伝子をはじめ、体内の代謝物質、タンパク質などを網羅的に解析する手法が確立され、腸内細菌叢の全貌が分子レベルで明らかになりはじめている。「腸内細菌叢は腸管免疫システムの制御に関わっていることが明らかになっています。また、ダイエットや消化機能改善などのヘルスケアはもとより、がんやアレルギー、精神疾患など医療分野まで関与している可能性が示唆されています。しかし、分子レベルでのメカニズムの多くはまだ明らかになっていないのが現状です」。

きっかけは小さな試験管

 学生時代、講義内容が難しかったので質問のために教授のラボを何度も訪れていた時に「理解するためにまずは研究してみないか」と誘われたのが腸内細菌研究へのきっかけだった。牛など反芻動物の胃に生息して草を分解する微生物や、プロバイオティクスと呼ばれる健康に寄与する腸内細菌の研究を9年続けた。もともと実学志向だった福田氏は、学位取得後の次の研究テーマとして、腸内細菌と腸管免疫の関係に関心をもち、腸管免疫の研究で著名な理化学研究所の大野博司氏の門を叩いた。大野氏の共同研究者でありNMR(核磁気共鳴装置)メタボロミクス研究者だった同研究所の菊地淳氏のラボを訪れた時のことだった。NMR測定用の小さなサンプル管をみて、ある事がひらめいた。「サンプル管を培養用の試験管と同じように使えるのではないかと思い、サンプル管に培地を入れて菌を播種し、培養しつつそのままNMR測定をしてみました。すると、微生物によって産生、消費されている代謝物質情報を連続的にはっきりと観察できたんです!」と興奮気味に当時を振り返る。異分野のツールを上手く取り入れられるところは福田氏の真骨頂だ。

宿主と腸内細菌叢の密接な関係

 腸内細菌叢(そう)は酢酸や酪酸をはじめとした様々な代謝物質を作り出すことが明らかになってきている。さらに、こうした物質が免疫や代謝システムなどの人間の健康にも影響をおよぼすという知見が近年次々と報告されている。福田氏は、代謝物質を網羅的に解析するメタボローム解析、遺伝子発現を網羅的に解析するトランスクリプトーム解析などの、網羅的解析を組合せた統合オミクスの手法で腸内細菌叢の機能解析を行なってきた。例えば、メタボローム解析で腸内代謝物質動態を調べ、トランスクリプトーム解析で腸の遺伝子発現を調べることで、どのような代謝物質が腸にどのように作用しているかを知ることができる。この手法を用いて腸管出血性大腸菌O157感染症をビフィズス菌が予防するメカニズムをマウス実験で明らかにするなど、腸内で起こる微生物と宿主のドラマを次々と明らかにしている。一方で、「オミクス解析でできるのは候補化合物や細菌のスクリーニングまで。作用メカニズムの解明には腸内細菌学研究者がこれまでに培ってきた微生物の単離培養技術や、無菌マウスの技術が絶対に欠かせない」と、先人たちが築き上げてきた研究の土台も忘れない。

研究コンセプトを社会に浸透させる

 「腸内細菌叢の機能はまだまだわからないことが多いが、病気の予防や治療技術に必ずつながると確信し、これは必ず社会のためになるので、社会から資金を集めながら研究ができるはずだと考えていました」。こう語る福田氏は、2012年に慶應慶応義塾大学先端生命研究所に舞台を移し、新たなスタートを切る。

それを形にしたのが、メタボロミクスとメタゲノミクスを統合した研究アプローチ『メタボロゲノミクスTM』による腸内細菌叢の機能理解と、この方法の実践を通して人々の健康をデザインし、病気ゼロの社会を実現するために自らが立ち上げたバイオベンチャー、株式会社メタジェンだ。メタゲノム解析に精通する東京工業大学講師の山田拓司氏らと2015年3月に設立したばかりの若き研究者チームのベンチャーは、既に社会にインパクトを与え始めている。2015年7月8日には、森下仁丹株式会社のビフィズス菌サプリメント「ビフィーナ」がヒトの腸内環境に与える影響を解明するための共同研究を開始した。起業したことで、社会実装のためには異分野の研究やテクノロジーとの連携が欠かせないことを今までよりも強く感じているという。

意識せずに実践できる未病の未来

 メタボロゲノミクスを通して福田氏はどのような社会を思い描くのか。「意識していなくても腸内環境が自然に整えられ、知らぬ間に病気の予防ができる社会を創りたいですね。例えば、ジャガイモの成分にはデンプンが多いですが、そのデンプンの一部を腸内細菌叢の改善に役立つ難消化性デンプンに置き換えたジャガイモが育種できれば、そのジャガイモで作ったポテトチップスを食べると、知らぬ間に腸内細菌叢が改善され健康になっているとか。腸内細菌叢を考えた農作物育種や食品開発、創薬など、新規ヘルスケア産業を実現したい」。あふれるアイデアがどのように社会に浸透していくのか、これからの福田氏の研究から目が離せない。

(文・伊地知 聡)

慶應義塾大学先端生命科学研究所 特任准教授
株式会社メタジェン代表取締役社長CEO
福田 真嗣

PROFILE  ふくだ・しんじ 2006年明治大学大学院農学研究科を卒業後、独立行政法人理化学研究所基礎科学特別研究員などを経て、2012年より慶應義塾大学先端生命科学研究所特任准教授。2013年文部科学大臣表彰若手科学者賞受賞。2015年文部科学省科学技術・学術政策研究所「科学技術への顕著な貢献2015」に選定。同年、ビジネスプラン「便から生み出す健康社会」でバイオサイエンスグランプリにて最優秀賞を受賞し、株式会社メタジェンを設立。専門は腸内環境システム学、統合オミクス科学。