植物ビッグデータが育種にイノベーションを起こす 岩田 洋佳

植物ビッグデータが育種にイノベーションを起こす 岩田 洋佳

人類は新しい農作物の品種を作り出すために数千年にわたって育種を続けてきた。植物のDNA配列情報や、成長の経時的変化の観察データなどが利用できるようになってきた今、この数千年にわたる試行錯誤の世界にイノベーションがもたらされようとしている。東京大学農学生命科学研究科准教授の岩田洋佳氏は、植物のゲノム情報と成長記録の融合で新たな育種法の確立に挑戦する一人だ。

遺伝情報から優良品種を選び出す革新的な技術

 近年、生命科学の世界では生命の設計図である全DNA配列情報(ゲノム情報)を解析する技術の革新が進み、以前は数年間かかっていた全配列情報の取得が、数ヶ月でできるようになった。このことにより、異なる生物種間、あるいは同一の生物種間での情報の比較や、情報の抽出が容易にできるようになった。その恩恵は畜産、農業分野にももたらされつつある。ゲノム情報は同じ種間でもその配列が完全に一致しているのではなく、多様性が許容されており、このことによって個体間の差が生まれている。例えば稲には様々な品種があるが、この違いはゲノム情報の部分的な違いによってもたらされている。こうしたゲノム情報の比較から優良個体を選抜しようというのがゲノミックセレクションのアプローチだ。この方法では、乾燥に強い、収量が多いといった個体の形質(表現型)を、DNA遺伝子型の関数として捉えてモデリングを行なう。

 従来は、先人たちの努力により蓄積された膨大な表現型についてのデータを活用して掛け合わせを行ない、実際に候補となるものを栽培することで狙った表現型を持つ個体や系統を選別していた。一方、ゲノミックセレクションでは表現型に紐づいたゲノム情報を利用して選別する点が異なる。掛け合わせの前の段階で有望な親の組み合わせを選抜し、掛け合わせでできた子どもたちのゲノム情報に基づいた選抜ができるのだ。そのため栽培期間をそれほど必要とせず、選抜期間が大幅に短縮できる可能性があると期待されている。

 2008年、在外研究員として滞在した米国農務省農業研究局(コーネル大学内)Jean-Luc Jannink博士の研究室で、岩田氏はこの革新的な手法に出会うことになる。「もともとは別の方法を磨き上げる目的で滞在していましたが、ゲノム情報からターゲットにする形質を選抜できるゲノミックセレクションに衝撃を受け、研究をするならこの方法だろうと思いました。動物ではすでに乳牛で実用されつつありましたが、植物ではまだ用いられておらず、新しいパラダイムを実現するために帰国後は色々な人に宣伝して回りました」。

ソバで実った選抜の有効性

 ゲノミックセレクションが実用に耐えうるものだと感触を得たと岩田氏が振り返るのが、メンバーとして加わっていた、筑波大学、東京大学、京都大学、トヨタ自動車株式会社が共同で行なったソバの品種改良だ。2011年〜2013年にかけて合計6回行なわれたゲノミックセレクションの結果、収量性はもとの1.4倍上昇し、ゲノミックセレクションの有効性を示す事例となった1。最初の収穫までに数年を要する果樹などの永年性植物では、今後この手法の重要性がますます高まっていくと岩田氏はみている。

 ソバでの実証は国内農業への貢献に可能性を示したが、日本から海外に向けての貢献もあり得るのだろうか。「ゲノミックセレクションの面白いところは、現場にいなくても品種の選抜ができることです。例えば、今までアフリカで品種を作りたいと思ったら、アフリカで良い個体や系統を選抜する必要がありましたが、その必要がなくなるのです」。この話を地でいく、海外の農作地を舞台にした研究も進行している。五大穀物のひとつであるソルガムの育種だ。

表現型の情報とゲノム情報の融合で新しい農業がはじまる

 ゲノミックセレクションは、表現型とそれに紐づくゲノム情報がわかっていないと予測ができない。表現型のデータが不足していたソルガムのゲノミックセレクションのために、成長情報などの取得を試みた岩田氏らだったが、成長すると3〜4mにもなるため農場全体で生育状態を計測することが難しいというハードルにぶつかった。色々と思案する中で行き着いたのが、ドローンによるリモートセンシングだ。国内の農業分野で騒がれる以前から活用を試み、福島県や東京都西東京市での実証試験で成長記録の取得に利用できると確信した。さらに、現場の農家の人たちがドローンの性能を高く評価してくれたことで、農家の役にも立ちながら、得られる膨大な情報を大学の研究とリンクさせられる可能性に手応えを感じたと振り返る。この方法は、ソルガムに限らずこれまで十分に追跡できていなかった様々な作物の成長記録の蓄積を可能にし、研究者、農家の両者に恩恵をもたらす可能性がある。

 では実際に農業ビッグデータに不足していた、成長記録などの植物そのものの情報と、ゲノミックセレクションが融合することで、どのような発展が期待できるのだろうか。「収穫の時のデータだけでは、植物の環境応答のプロセスはわかりません。ドローンで成長を記録し、そのデータとゲノム情報をあわせて、環境と遺伝子の両面からコントロールされている作物の能力をうまくモデル化していきたい」と岩田氏は先を見据える。植物中心の農業ビッグデータの利用がこれからの農業をどう進化させていくのか、今後の動向に注目したい。(文・高橋宏之)

関連リンク:岩田 洋佳Webサイト