冬の味覚から生まれた新しい機能性素材 伊福 伸介

冬の味覚から生まれた新しい機能性素材 伊福 伸介

カニ殻の用途は、出汁を取るだけじゃない。鳥取大学大学院工学研究科の伊福伸介准教授は、鳥取で数多く水揚げされるズワイガニの殻を原料にキチンナノファイバーをつくり、多様な分野との共同研究を進めようとしている。

分子構造の類似性と地の利から辿り着いたテーマ

 伊福氏は鳥取大学に講師として赴任する以前、京都大学の矢野教授のもとでセルロースナノファイバーの研究に取り組んでいた。異動に伴って独立した研究テーマを考える中で、キチンの利用に思い至ったという。キチンは、主にN-アセチルグルコサミンが重合した高分子であり、セルロースと構造を比べると、2位の炭素に水酸基でなくアセトアミド基が付加した構造をとっている。この構造の類似性から伊福氏は、木質からセルロースナノファイバーを抽出するのと同様の手法で、キチンが豊富に含まれるカニ殻からナノファイバーを抽出できるのでは、と考えたのだ。さらに県内の境港は国内有数のカニ水揚げ量を誇り、研究材料には事欠かない。

 そして目論見は成功した。粉砕したカニ殻からタンパク質やカルシウムを除去し、酸を添加して解繊処理を行うという比較的簡便なステップで、幅10nmの極細キチン繊維を取り出すことができたのだ。

セルロース、キチン、キトサンの構造式。 互いに構造が似ている。

セルロース、キチン、キトサンの構造式。
互いに構造が似ている。

共同研究で見えてきた多様な生理活性

 キチンナノファイバーは高強度、高弾性、低熱膨張性と、物性の面でもセルロースナノファイバーと似ているが、紙パルプなどすでに利用産業も資源量も多いセルロースと同じフィールドで競争をしても仕方ないと伊福氏は考えた。そこで、獣医学科と共同で生理機能の評価を行った。その結果、皮膚への塗布でコラーゲン量が増加し、創傷治癒を加速する効果があるといった活性が見えてきた。また急性炎症を誘発したモデルマウスに対してキチンナノファイバーを投与すると、症状に改善が見られることが確かめられている。ただいずれも、詳細な作用機序はまだ分かっていないという。「腸内細菌叢が変化して、腸内で酢酸や乳酸の産生量が増えるので、代謝産物の血中濃度が変化する現象と関連しているのかもしれません」。一方で免疫系そのものに作用している可能性もある。「キチンはカビの細胞壁にも含まれている物質です。あくまで推測ですが、植物がそうであるのと同様に、動物もカビに対する防御機構を介して生体反応が起こるのではないかと考えています」。これまでキチンやキトサンは粉末化することしかできなかったため、非常に水に分散しにくく、塗る、飲むなどの使用が難しかった。ナノ繊維化することで非常に分散しやすくなったおかげで広がった用途が、新たな課題を産んでいるのだ。効果は見えているが、メカニズムは不明。そんな状況の今、極細繊維の先は論文になりうる多数のネタに繋がっているかもしれない。

境港に水揚げされた カニの殻。

境港に水揚げされた カニの殻。

分子メカニズム探索の専門家、求む

 現在、10社程度の企業と共同研究体制を組み、食品や化粧品、繊維等への応用を進めている。材料科学が専門という伊福氏の役割は、他の材料との反応性や結合性をよくするための化学修飾や、カニ殻の効率的な粉砕法を検討することだ。抽出したばかりのキチンナノファイバーは、濃度1%程度のゲル状になっている。これに適切な修飾を施し架橋構造を作ることができれば、生体親和性の高い新たな弾性素材として再生医療等にも使用できるかもしれない。

 2015年に商品化第一号として化粧品『素肌しずく うるおいミルク』ができたことで、マスコミにも取り上げられて企業からの問い合わせも増えたという。「今は上り調子の時期だと思います。この勢いを止めず産業活用への道を進めたいですね」。一方で、多様な生理活性の作用機序を突き止めるために、細胞や動物を使った分子メカニズム探索の専門家の協力が欲しい状況だ。「今は獣医学科との共同研究で動物実験による現象を捉えている状況。そこから踏み込んで、細胞レベル、分子レベルで作用機序を明確にしていくことで、機能性食品や医薬品への展開も見えるのではと思うのです」。この新たな素材の研究に、自らの知恵を活かせるのではと考えたら、ぜひこの流れに乗って欲しい。

(文・西山哲史)