志を明確に、差別化された知識で世界を変える 髙橋 里美

志を明確に、差別化された知識で世界を変える 髙橋 里美

「研究者に憧れていたんですよ。研究を突き詰めて、サイエンスで世の中のためになるようなことがしたいな、とずっと思っていました」。そう話すのは、京都大学の髙橋里美さん。真面目に、ときには大胆に。自分の興味を探求する生き方からは、新しいものをつくろうとするときに大切なものが見えてくる。

「この研究ができないのであれば入社しない」

大学時代の髙橋さんは、新たなペプチドの化学合成法の開発に没頭し、修士課程在学中に国際特許を取得するまでの成果を出していた。そんなあるとき、酵素によるペプチド合成に出会う。有機化学合成法ではアミノ酸を1個ずつつなぐことでしかペプチドは作れないが、生体内では、酵素の働きによって複雑なペプチドが一瞬で作られる。「そのスマートさに感動してね。いわゆる有機合成の分野に酵素反応を持ち込む。これが自分のやるべきことだと感じたんだ」。最先端の知識に幅広くアンテナを張っていた、髙橋さんならではの発想だった。

その思いを、髙橋さんは鐘淵化学工業株式会社(現・株式会社カネカ)の入社面接の場でぶつけた。「酵素反応の研究をやらせてほしい。できないのなら、この会社には入らない」。しかし、ただやみくもに自分の主張をしたわけではない。当時の化学メーカーで、酵素を実際に使っているところは皆無。そんな状況の中で、先端の動向を理解したうえで言っていることが伝われば認めてもらえる、会社もこの研究に興味をもっているはずだ、という確信があったのだ。役員を驚かせたこの発言は、髙橋さんらしい作戦だった。

不可能だった工業化を可能にする

思いが認められて入社したカネカでは、酵素を用いた光学活性アミノ酸の生産を行うことになった。かつて、医薬品などの有機化合物の製造には多量の金属触媒やエネルギーを用いていたが、酵素を使えばもっと簡単で多量に作れると考えたのだ。酵素は微生物が作るものを使うが、当時のカネカには微生物に精通している人はおらず、大学の研究室から技術を教わりながら目的の酵素を作る微生物を探し続けた。その過程で発見したのがD型のアミノ酸のみを選択的に作るD-ヒダントイナーゼという酵素。この酵素で抗生物質の原料を作れるのではないか、とやってみると大当たり。考えられないくらい多量に合成できた。

これを使えば誰もできなかった抗生物質の原料の工業化が可能になる。そう確信した髙橋さんは、さらに酵素の基礎研究や基質となる物質の合成方法の研究を続け、ついに工業的製造法を確立し、シンガポールの地で企業化に成功したのだった。この有機合成と微生物酵素を組み合わせた方法は現在でも広く使われ、血圧降下剤や抗エイズ薬などの光学活性医薬中間体の製造に欠かせないものとなっている。

創造的な仕事をするには

以降、医薬品やバイオプラスチック生産など数々の研究や技術開発を指揮し、酵素や微生物の持つ可能性を何十年と広げてきた。退職した現在は京都大学に所属し、後進の指導にあたる。今の一番の興味は、若い人に創造的な仕事ができる人材になってもらうことだ。「そのために最も大切なのは、常識をくつがえす、差別化された知識。これを持つために若い人がまずするべきは、志を持つことです」。自分が何がしたいかを本質的にわかっていると、いろんな知識が関連づけられて人とは違う視点が生まれる。それが差別化された知識になり、そこから常識の壁を越えた創造性が生まれるのだ。カネカ時代、後輩を育てるときも、まず自分が何者で何がしたいのかを徹底的に考えさせた。まずは自分の軸となる興味を探してみよう。そこから生まれる創造性が世界を変える力となるだろう。

(文 福井 健人)

髙橋 里美さん プロフィール

大阪大学大学院理学研究科修了。鐘淵化学工業株式会社(現・株式会社カネカ)に入社ののち、精密化学品をはじめ多くの研究開発に携わり、研究開発担当(取締役常務執行役員)を歴任。この間、日本化学会副会長、日本農芸化学会理事など外部でも活動。平成24年より現職。