研究者の基礎を培った マンツーマン授業と留学経験

今清水正彦 国立遺伝学研究所

東京薬科大学生命科学部背環境生命科学化卒業。東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程修了。博士課程1年の時にアメリカに1年半留学をした。
現在は、国立遺伝学研究所に所属。

人と話すよりも〝自然〞や〝生命〞について考えることが好きで「研究者」に憧れていた。この気持ちを持ち続け、約1年半のアメリカ研究留学も経験した。2007年3月、東京大学大学院博士課程を修了して博士( 農学) 号を持つ研究者となり、この春からは国立遺伝学研究所に活躍の場所を移して新たな研究生活が始まる。動き始めた研究者が学生時代を振り返る。

大学時代、自分と向きあう

高校時代、受身の受験勉強は嫌でたまらなかった。「生物の問題は、考えれば考えるほど答えが何通りもある気がして、正しい答えなんてどうしてわかるんだ、と思っていました」。一浪後、当時は仕方なしに進学した大学。これまでほとんどしなかった勉強がどんどん面白くなる反面、大学生活が合わず、自分で勉強することが多くなった。

「一人で勉強できるなら、大学に行く必要はない。大学を辞めようと考えていました」。大学で学ぶことの意味を考えていた時、一人の教授と出会った。この出会いが今清水さんの研究者としての基礎を培うこととなった。 大学の授業は面白いと思えないが、サイエンスが大好きで、もっと勉強したい。この想いを伝えると、マンツーマンの授業を提案してくれた。自分の意見を受け止めてくれたことが驚きだったという。週1回、科学論文を全訳して持っていくと、教授は英語の解釈とその科学的な意味について教えてくれ、それ以外にも教養的なこと、世の中のことを一緒に議論した。教授との時間を通して自分の科学観の基礎ができてきた。「この経験が、僕の考えや科学に対する興味に大きく影響しています」。

大学3年生からその教授の研究室で実験を始めた。学年を超えて研究室の仲間と教科書や論文を引っ張り出しては深夜まで議論したという。さらに、専門の分子生物学や生化学以外にも、その基礎となる物理学なども自分で勉強した。能動的な勉強には、受験勉強にはない面白さがあった。「この時の勉強が今でも役に立っています。一生に1回は自分に向き合って、勉強する時期があるとよいと思っています」。

留学経験から見えてきたもの

アメリカのペンシルバニア州立大学への研究留学を決めたのは、修士2年の頃だった。博士後期課程に入学し、1年後にはアメリカへ渡った。今清水さんを突き動かしたのは「予測したタンパク質の構造を結晶解析で解きたい」という想いだ。

約1年半のアメリカでの研究生活では、渡航前の目的を達成することができなかった。それでも、この間に蓄積された知識と経験が今の研究に大きく役立っているという。「知りたいことをとことん考えて手を動かす中で、多くはうまくいきません。だからこそ、もっと考えて手を動かす。そうすると、追っていたものとは違っていても何か新しい発見に出会います」。これが、研究を続ける力となる。「〝受験のために〞〝就職のために〞。何かのためにではなく、自分で考えて、わくわくして実験する。そんな仕事は辛くても幸せです」。

留学生活の中で直面した壁は、研究そのものよりも、研究で生きていくことを考えた時だという。人前で自分の意見をはっきり言うことや、周囲とのコミュニケーションを日本以上に強く求められる。「たくさんの人の前で話すことは苦手です。その上、最初は英語がほとんどわからなかったので、大変でした。研究者になれないという不安もあったけれど、諦める気にはならなかったですね」。どんな分野に進むにしても、英語が大事なスキルだと痛感した。一方で、留学経験を経て、スキルは重要だが、苦手でも諦めないことが大事だとわかった。「研究のためには、頭が良くて、コミュニケーション能力があって、英語が必要、と必要条件を数え上げるようなことは好きではありません。研究が本当に好きなら、必要なものを身につける努力が自然にできると思います。そのくらいの気楽さでよいのではないでしょうか」。経験に基づく言葉は、シンプルだ。経験を通して培われた哲学を持って、今後も研究の世界を突き進む。