研究成果の社会実装で、 植物と食物を守る

研究成果の社会実装で、 植物と食物を守る

 世界の作物の全生産可能量のうち12%、約8億人分は病害により失われるといわれている。その社会的、経済的な損失を最小限に食い止めるためには、感染の事実を早期に把握することが極めて重要だ。そのためには、生産者自身が正確、簡便に結果を判定できる検出法の開発が必須となる。

4年前、国内で顕在化したPPVによる病害

2009年、国内で初めてplum pox virus(PPV)の感染が確認された。PPVはモモ、スモモ、アンズといったPrunus属(サクラ属)の果樹に感染するウイルス。1915年頃にブルガリアでセイヨウスモモの果実表面にあばた状の斑紋が出る病気が認められて以来、東欧を中心に拡大し、90年代には欧州全域、トルコ、エジプト、南米、北米、アジアと世界的な広がりを見せていた。病徴として成熟前の落果や輪紋、斑紋、奇形、果肉の変質を引き起こすために商品価値が著しく損なわれ、世界的には過去30年間で1.4兆円を超える被害が出ている。農業分野で動向が注視されているウイルスの1つだ。

ウイルス粒子の構造は単純で、分子量約37kDaの外被タンパク質と単一のプラス一本鎖RNAのゲノムとで構成され、幅が約15nm、長さが約750nmのひも状粒子である。血清学的特徴と分子系統学的関係に基づいてM、D、Rec、C、W、EA、Tの7系統に分類され、このうちM、D、Recが主要な系統であることがわかっている。2009年に日本で確認されたのはD系統のPPV(PPV-D)で、接木やアブラムシによって感染し、17種のサクラ属植物、サクラ属以外にも14科の植物に自然感染することが確認された。

簡便・迅速な検出キットで病害を予防する

早期発見による対処を実現するため、感染が確認された2009年のうちに、PPV検出キットが開発された。東京大学農学部の難波成任教授が開発したこのキットはイムノクロマト法とLAMP法の2種類がある。いずれも研究室で使用される専門的な実験器具を用いなくても検出できるようにデザインされており、またそれまでの検査法と比較すると検出に要する時間が短いこと、値段が格段に安いことが特徴だ。これらのキットは2010年2月に農林水産省から発令された緊急防除省令によるPPV感染樹の調査にも活かされ、迅速な防除体制を構築するために役立てられている。

 

全く新しい検出技術による診断キット

そして2013年、病害を引き起こす細菌やカビの存在を判定するための「Dr.プラント」シリーズが新たに株式会社リバネスから発売される。PPV検出キットと同じく東京大学難波研究室から生まれたこのキットは、最低限の炭素源、基礎塩類、抗生物質で作られた選択培地により病原体を検出する。使用者は、感染が疑われる土壌や植物体の懸濁液を作り、培地に塗布して数日間静置するだけ。病原体がもし存在すれば、該当する選択培地上でその微生物だけが増殖するのが確認できる。

Dr.プラントシリーズを構成する選択培地は、病原体がもつゲノムを解析し、代謝系に関する遺伝子情報を元に組成が作られている(特許公開2010−193775)。炭素源および抗生物質の2つの制約(two constraints)によって標的微生物のみ選択的に培養できる培地の設計アルゴリズム「SMART」(Selective Media-design Algorithm Restricted by Two constraints)が、技術の根幹となっている。病原体ごとに、どのような炭素源であれば分解できるのか、どのような抗生物質を代謝できるのかを遺伝子情報から予測し、他の微生物が生育を抑え、ターゲットの微生物だけが生育できる培地組成を設計できるのだ。

基盤となるコンセプトが多様な展開を示す

選択培地による病原体の検出自体は決して新しいコンセプトではない。しかしSMARTは、農学・医学・工学・薬学・理学に共通した「培養」という伝統的手法とバイオインフォマティクスとを結びつけた、新しい基盤技術といえるだろう。最少の培地設計により従来の選択培地と比較して飛躍的に高い選択性を実現することで、クリーンベンチや無菌室といった設備が必要となる無菌操作の必要性が省かれ、生産現場で簡易・迅速・高感度・安価に病気を診断できるようになったのだ。また、SMARTの考え方を発展的に捉えれば、医療現場における診断や検疫現場における迅速な検査、食品の安全衛生検査のみならず、環境中からの有用微生物の効率的な発見、医薬・植物薬などの新薬開発(スクリーニング)など、広範な応用が期待される。実際に、本キットは2012年11月に開催されたアグリビジネス創出フェアに出展され、複数の企業が同技術を用いた開発に関心を示した。研究室で生まれた1つのコンセプトが、多様な業種の企業の目に触れ、様々なかたちでの社会実装の可能性を示したのだ。