研究者との出会いが養蚕業に変革をおこす 米満正和

研究者との出会いが養蚕業に変革をおこす 米満正和

平成26年6月、日本の絹産業の発展に多大な功績を残した富岡製糸場が、世界遺産に登録されたことは記憶に新しい。明治5年の開業からその終幕までの約115年間、世界最高峰の養蚕・製糸技術を集積し、文明開化の立役者として日本を牽引する存在となった。そして、21世紀となったいま、富岡製糸場の長い歴史と、最先端の科学・技術が融合し、新たな文明を築こうとしている。

きっかけは研究者との出会い

 富岡市に居を構える絹工房の米満氏は、自身で養蚕から絹糸を使った製品開発、販売までを手掛ける。絹工房を始めたきっかけは、絹糸の成分であるフィブロインの創傷治癒効果を研究する研究者と出会ったことだった。そのとき目にしたのは、フィブロイン水溶液を原料として作られた透明な薄いフィルム。人体に有害な物質が含まれていないため皮膚への刺激が低く、柔軟性・含水性を兼ね備えている優れた創傷保護材として紹介された。実際に米満氏が怪我をした際に傷のうえに貼ってみたところ、その効果を実感したという。絹糸から作られたというこのフィルムに魅了され、製品化を目指して自ら研究開発に乗り出した。温度や湿度、絹の水分含量など、フィブロインフィルムの作成に最適な条件の検討を自身の手で数えきれないほど繰り返し、ついに製品化にこぎつけたのだ。

富岡市で実現した6次産業化モデル

 「富岡製糸場が世界遺産登録に向けて活動しているので、ノベルティグッズをつくってほしい」という群馬県からのオファーをきっかけに、富岡での事業拡大を志すようになった。フィルムの他にも、美容クリーム、粉末を含んだ石鹸などフィブロインを活用した新商品を次々と開発している。現在、地元では、富岡シルクブランド協議会を中心に養蚕農家から絹加工業者、販売業者まで、蚕糸・絹業に携わる関係者がグループを形成し、富岡産シルクのブランディングに取り組んでいる。絹工房もその一員として製糸場前に店舗を構え、順調に販路を拡大しているが、富岡市でも農家数の減少は著しく、いずれ生産量が足りなくなることが懸念される。そこで、米満氏は富岡という地の利を活かして、長年培われてきた農家の養蚕技術に注目し、2015年から自ら蚕の生産を開始した。

新たなシルクブランドを創る

 世界トップクラスの日本の養蚕技術や研究ノウハウを活かして事業を展開する絹工房は、6次産業化の一つのモデルになると期待される。今後、シルクは特別なときに使うものでなく、普段の生活に取り入れる新しいライフスタイルを提唱し、国内シルクの生産消費量を増やしていきたいと話す米満氏。日本のお家芸ともいわれる養蚕技術と研究者の知恵を融合することで、さらなるフィブロインの可能性を広げたい。そんな思いが、再び日本の養蚕業を動かし始めている。(文/金城雄太)