ヒトがヒトである所以 颯田 葉子

ヒトがヒトである所以 颯田 葉子

総合研究大学院大学 颯田 葉子 教授

およそ600万年前に枝分かれをしたと考えられているヒトとチンパンジー。今では、見た目も生活スタイルも、全く違う生き物へと進化を遂げた。600万年の間に、どのように生活環境が変化し、設計図であるDNAにはどのような変化が起こったのか。両者のDNA配列の違いは、たったの1.2%。ヒトがヒトである所以は一体どこにあるのだろうか。

ゲノムの痕跡を追って

研究に出会ったのは学部2年生の頃。友人の紹介でアルバイトに通った東京都老人総合研究所で体験した実験補助の仕事と、先輩から聞いた「進化の中立説」の話がきっかけだった。学生時代には、モデル生物であるショウジョウバエのミトコンドリアDNAの分子進化の特徴を調べた。「もともと自分で手を動かすのが好きだったし、研究者の仕事が好きだったみたい」と、初めての学会発表を思い出す。前日は興奮して眠れなかったそうだ。

それ以来、研究漬けの日々を送っている。600万年の間にどのような環境変化が起こり、食生活も含めてどのような変化が起こったのか。現在も、ゲノムの中に刻まれている、その痕跡を探し続けている。

環境によって変わる遺伝子

遺伝子の働きは、住む環境に応じて変化する。例えば、多くのほ乳類が体内でビタミンCを合成できるのに対して、ヒトを含む霊長類は合成することができない。この違いは、霊長類共通の祖先の段階で起こったと考えられている。樹上生活を始めた霊長類の祖先には、木の実や果実など、ビタミンCを供給するのに十分な食料があった。つまり地上で生活する他の生き物と違い、合成酵素の働きに異常が起こったとしても、足りない分を食事で補うことができるのだ。その結果、遺伝子がなくても問題ない生活が続くため、必要性の低い遺伝子には変異が蓄積されていき、霊長類は「ビタミンCを合成できない」という性質を手に入れたのだ。まさに環境の変化が遺伝子に変化を与えた例といえる。

颯田先生が研究を進めているのは、生物にとって最大の臓器と呼ばれる皮膚の解析だ。ヒトの場合、総重量は4㎏、広げれば畳1畳分くらいになる。我々を外敵や刺激から守ってくれる大切な存在だ。大きく生活環境の異なるヒトとチンパンジーでは、皮膚で発現する(働いている)遺伝子にも大きな差があるはず。つまり、皮膚の遺伝子発現を調べることで、両者に起こった環境の変化を読み取ることができるかもしれない。

皮膚から見えてくる、ヒトらしさ

実際に両者を比較したところ、発現量が100倍以上違う遺伝子が約100個見つかった。そのうち40種類が毛や爪などの主要成分として知られているケラチンの遺伝子だった。毛むくじゃらのチンパンジーと、比較的体毛の少ないヒトを比べているのだから、当然の話かもしれない。しかし解析を進めていく中で面白い事実も明らかになってきた。40種類の遺伝子は、23対ある染色体のうち、11番目、17番目、21番目に偏って存在していた。遺伝子の上流には、その発現量を決めている配列があることが多いが、全ての遺伝子上流で発現量が同じように変化する変異が起こることは確率的に考えにくい。つまり、ケラチンの遺伝子をまとめて制御するような、「新たな仕組み」の可能性が見えてきたのだ。ひょっとすると、環境の変化によってそのような仕組みを手に入れたからこそ、今のような見た目の差が生まれて来たのかもしれない。

ヒトを含め、全ての生物が持つDNAには、それまでに受けてきた環境の変化や歴史が刻み込まれている。その痕跡からヒトらしさの所以を読み解いていく。