ゲノム科学と食研究
ビタミンや旨味調味料の発見など、日本は世界の食研究に非常に大きな貢献をしてきた。機能性食品という概念も、日本から世界に発信され、牽引してきたと言ってもいいだろう。一方、ここ数十年で進んだ生命科学研究の成果はさまざまな分野に応用されてきた。特にゲノム解読の結果とその応用は、ようやく開始された段階であり、食の機能性研究を今後大きな発展に導くだろう。本稿で紹介するニュートリゲノミクスは、まさにゲノム解読の結果生まれてきた新しい研究分野であり、医学と農学の共通言語となりうる分野である。
機能性を網羅的に明らかにするニュートリゲノミクス
ニュートリゲノミクスとは、食品の機能性を明らかにする手法であり、食のテーラーメイド化を行う際のキーとなる解析技術である。国内におけるニュートリゲノミクス研究は、東京大学が牽引している。寄附講座「機能性食品ゲノミクス」が設置されたのは2003年のことである。30以上の食品企業がこれに賛同し、研究が進められている。ニュートリゲノミクスにおける現在の主流はトランスクリプトームによる解析であろう。もちろんのこと、すぐにヒトに当てはめて考えることはできない実験系ではあるが、多くの利点がある。
まず、その1つは、さまざまな器官において、ある食品が遺伝子発現にどのような変化を与えるか、mRNAを調べることで網羅的に解析することができる点である。どの器官にどのような影響を与えるのか、機能性を解析するには最も基礎的でかつ重要なデータになるだろう。また、既知のターゲット以外に、別の器官や遺伝子群に対してどのような働きをもつのかについても解析できるため、新たな機能性の発見につながる可能性がある。脂質代謝に関与すると考えられていた食品が、じつは免疫調節にも関与しているかもしれない。そういった意味では、安全性の評価にもつながるだろう。
また、単一成分ではなく、野菜や加工食品などの複合成分でも同様に解析できる。作用機序などのターゲットが絞られている場合、通常はさまざまな要素を削って評価をする必要があるが、網羅的な解析であるため、その必要がないのである。たとえば、独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構食品総合研究所の高橋陽子氏の研究では、高野豆腐そのものの機能性について解析している(1)。その結果、大豆イソフラボンは脂質代謝に影響を与えないが、高野豆腐は脂質の代謝に寄与し、血清中の脂質濃度を低下させていることが明らかになっている。複合的な成分を含む実際の食品の効果を評価している好例であろう。
食のテーラーメード化に向けて
一方で、研究段階の結果を、実際のヒトへそのまま展開するには、大きな隔たりがあるといっていいだろう。研究は、多くの場合ラットやマウスなどの実験動物で行われる。特に、オミクス研究は実験動物がいなければ成り立たない。ヒトとは違う生物での結果であることを認識する必要があるとともに、実験動物は系統的に安定しており、それと比較してヒトの場合ははるかにダイバーシティーがあることを考慮すべきだ。食の研究が進むのと並行して、一方で個人の遺伝的背景によって適切な食を行う、「食のテーラーメイド化」に関する研究も進んでいる。
ニュートリゲノミクスは、将来的に食のテーラーメイド化を行うに当たり、有効な手段であると考えられているが、その応用は少し先になりそうだ。しかし、ゲノム解読の完了を受けて、国内外でも研究が進み、一部診断サービスも開始されている。インフォームドコンセントを取ったうえで、肥満関連遺伝子や糖尿病関連遺伝子など、既知の遺伝子をピックアップして多型を調べる。その結果を元に、栄養指導などを行っていくもので、すでに米国ではサービスを提供する企業があり、日本でも一部のクリニックで実施されている。もちろんのこと、遺伝子の機能については依然未知な点も多いが、今後このような動きは加速していくだろう。
医学と農学の共通言語へ
分子生物学は、医学でも農学でも扱われる、いわば共通言語的な分野となる。オミクスを活用した食の機能性研究は、両者が交わる交差点としての役割を果たし、連携の拠点になるだろう。今後は、その成果が広く公表され、データベース化することで、研究と連携の底上げになることを期待したい。
<参考文献>
(1)Takahashi Y., Nutrigenomic analysis of food functionality. J. Lipid Nutr. Vol.21, No.1 (2012)
デザイン素材提供:DNA rendering by ynse