バンコクのAmerican SchoolからReal Americaへ

バンコクのAmerican SchoolからReal Americaへ

アメリカ人の生徒が大半を占めていた、タイのInternational School Bangkokを卒業した私は、また勘違いの『自分の常識』をつくっていた。高校に居たアメリカ人とアメリカ合衆国にいるアメリカ人は、同じという新たな『常識』に侵されていたのだ。全く、経験から学べていない。しかし、良くとれば常に物事を新しく見るという才能に恵まれている。

3年間のBeverly Hills 90210まがいの学生生活を満喫した私は、アメリカの大学でもしっかりとやっていけるという根拠のない自信に充ち溢れていた。今、考えると何を根拠にそう思っていたのか、全く持って理解できない。若い時の自信というのは、本当に素晴らしい!?と思う。何にでも果敢にチャレンジできる時期だ。

ここで私はお得意の『とりあえず戦法』でSAT, TOEFLを受験し、先生に推薦状を書いてもらいというステップを踏む。後で知ったのだが、他の友達は共通試験用に塾に通い、英語の先生に添削をしてもらった小論文を提出していたのだそうだ。そんなことができるとは微塵も思っていなかった。一貫して計画性が無いのだが、正解を知らないのでどんどん進めた。

そうこうしているうちにIndiana University of Pennsylvania、ニューヨーク州のとなりにある東海岸の州立大学に入学する事が決まった。生物学が好きだったので専攻は、Biologyと決めていた。現地についてみると、インディアナは大学町で大学が休みに入っている時期は、人口が20万人から2万人に縮小する。そして、日本人がほぼいないだけでなく、アジア人の比率も低かった。

日本から来たと言っているのに、「あ~中国人ね」と真顔で返される。時には、外国人というだけで無視をされた。そうかと思えば、スーパーのおばさんが「はるばる日本から来たの?えらいね。勉強頑張って」とエールを送ってくれる。最初は、そんな出来事に一喜一憂していたが、そんなことは無駄だと気付くことになる。自分は、自分。日本人だとか、外国人だとかそんなことを気にせずに『徳江紀穂子』個人を見てくれる人とやっていこうと思えるようになった。次回は、アメリカの大学生活のハイライトの話をしたいと思う。