100年以上続く日本の「理系」老舗企業~その1 島津製作所編~

100年以上続く日本の「理系」老舗企業~その1 島津製作所編~


前回、
100年以上続く日本の理系老舗企業についてまとめました。
今回は100年企業の立ち上がりの事例として、1875年設立の機器メーカー島津製作所を紹介したいと思います。
色々HPから探ってみましたところ、一人の男の理科機器へのパッションがスタートだったのだと、胸キュン。

What's SHIMADZU?

島津製作所と言えば、2002年に当時社員だった田中幸一さんがノーベル化学賞を採ったことで有名です。
でも、まず島津製作所って何をしている会社なのでしょうか?

島津製作所は分析計測機器、医療画像診断機、航空産業機器などを作るメーカーです。
特に分析計測機器についてはガスクロマトグラフ、スペクトル機器、引張り試験機、質量分析計など、何かしら研究室になじみのある機械が見受けられます。
理系の私たちにとっていわば「研究を支える、なくてはならない会社」なわけです。

 

全ては科学機器へのパッションから始まった

そんな島津製作所が設立したのは1875年、明治8年。
この4年前に廃藩置県が、この1年後に廃刀令が出されています。
漫画「るろうに剣心」のあたりだと思っていただければいいかと(通じるかな・・)。

島津製作所の創業と発展は、初代島津源蔵によって成し遂げられました。
ちなみに島津製作所と言えば、十字の島津家の家紋が有名ですが、特に血縁があったわけではなく、祖先が島津家の領地検分を手伝ったため褒美として島津姓を貰ったらしいです。

さて、初代島津源蔵はもともと仏具製造の店を営んでいましたが、廃仏毀釈(ここの時代背景も「るろうに剣心」読むといい!)の影響で仏具の注文は激減していました。
そんな源蔵の転機は近くに科学技術の研究機関「舎密局」が設立されたこと。
もともと新しいもの好きの源蔵はそこにちょいちょい出入りをするようになりました。
そして、その舎密局で西欧の最新の科学機器にドはまりします(その気持ち、わかるわ~)。
源蔵は生徒ではありませんでしたが、頼み込んで理化学講座を受講し、実験に参加しまくったそうです。
さらに職人ということもあり、舎密局で海外機器の修理や整備を頼まれることも多く、そのたびに内部を徹底的に見て研究を積んでいきました。

着実に知識と技術を吸収していく中、源蔵は理科の教育器材の少なさ、その値段の高さに気づきます。
当時の理系教材は海外から輸入していた上、数量も少なく修理すら難しい状況でした。そのため単価が高くなり、理系教育の浸透の妨げになっていたのです。「自分で理科機械を作り、日本を科学の国にしたい」と考えた末、ついに仏具製造をやめて島津製作所を開いたのでした。
熱いぜ、源蔵!!

 

熱い無茶ぶり対応で、大発展

それからも源蔵は舎密局で出会った人々から新しい西洋の知識を吸収しつづけ、創業からたった2年後で第一回内国勧業博覧会にて表書されるという偉業を成し遂げます。
そして今後の島津を決めた決定的な出来事が、京都知事からの熱気球を上げてほしいという依頼でした。
もちろん気球なんぞ見たこともなく、渡されたモデル図はたった一枚だけ、しかも半年後にはイベント開催という超絶無茶ぶり。
しかし「理科教育を広めたい」という思いに共感した源蔵はその依頼を引き受け、熱気球を予定通り完成させてしまいます。
この熱気球により島津製作所の名は不動のものとなり、今に続く大企業へと発展していくのでした。

分野違いでも臆せずゴリゴリ学びに行った姿勢が彼の成功した理由じゃないかと思います。
爪の垢煎じて飲みたい!

本日のまとめ:興味を持ったら何としてでも食らいついて勉強すべし!どんな時でも機会を逃すな!

ではまた!

P.S.

スーパー天才児2代目源蔵の話もえらい面白いので島津ホームページで是非とも見ていただきたいです。

 

参考:

島津製作所の歴史 http://www.shimadzu.co.jp/visionary/

島津製作所HP http://www.shimadzu.co.jp

Wikipedia 島津製作所、島津源蔵