ハエ、宇宙へ
1967年9月7日、アメリカからBiosatellit-IIによって、宇宙に向けて “ハエ”が打ち上げられました。私たちにとっても、非常に身近である”ハエ”にはある重要なミッションが与えられていたのです。
宇宙にあふれる放射線
1961年4月12日、ソ連のVostok1号が人類初の有人宇宙飛行を成功させて以来、何人もの飛行士が宇宙へと飛び立ち、無事に地球へと帰還しました。そうしたときに、次に浮上したのが宇宙に長期滞在する計画です。しかし、ここにはいくつか宇宙ならではの問題がありました。その内のひとつが「宇宙放射線」です。
宇宙放射線というのはあまり聞き慣れない言葉かもしれません。放射線とは原子核や原子を構成する小さな粒子が高速で動く粒子線、波長が短くてエネルギーの強い電磁波などを指します。宇宙空間で飛び交っている宇宙放射線には、太陽系の外から飛来する銀河宇宙線、太陽からくる太陽粒子線、そしてそれらが地球磁場によって捉えられ、地球の周りに滞留する補足粒子線の3種類があります。
生物が放射線を浴び続けるとDNAの鎖が切断されたり、DNAを構成する物質である塩基に損傷を与える確率が高まる、と言われています。生物の設計図であるDNAがおかしくなってしまうこと、それは生物にとって致命的なものになることもあります。例えば、ガンになってしまう可能性や、生殖細胞に異常が起これば次の世代に悪影響を引き起こしてしまう可能性もあるのです。
地球の外で宇宙放射線を浴びると、こういったリスクが高まる可能性があります。例えば宇宙ステーション内では、地表の約1,000倍もの被曝があると考えられています。その中で、生物に遺伝的な影響があるかどうかを調べるために打ち上げられたのが、ハエなのです。
大量のハエが宇宙船へ
なぜこのミッションにハエが使われたのでしょうか?実際に実験に使われたハエは、キイロショウジョウバエ(学名:Drosophila melanogaster)という種類の、日本でも普通に見られるハエです。このハエのサイズは体長3mm前後ととても小さく、世代時間が短い、飼育が容易、ゲノムサイズが小さい(染色体の数が少ない)などの特徴から、実験動物として、特に遺伝の研究の中で用いられてきました。 さらに小さいがゆえに、宇宙船に大量に載せて実験することができます。大量のハエが載っている宇宙船なんてちょっと想像したくないですけど、放射線のリスク評価は「大量」に調べることで精度が上がります。例えばハエ2匹を調べて異常が見られなかったとしても、実は1000匹調べたら500匹に異常があるという可能性もありますよね。そのため、このミッションには体が小さくて大量に宇宙船に載せることができる生物を使う必要があったのです。 さらに、放射線感受性変異株というおもしろい性質を持つ突然変異のハエも宇宙へ連れて行かれました。このハエは簡単に言うと、普通のハエより放射線の影響を受けやすく変化してしまっている種類です。地球上での放射線の影響と、宇宙空間での放射線の影響を比較するミッションには、放射線の影響を受けやすいこの性質は好都合なものだったのです。
宇宙バエに起こった変化
宇宙に飛び立ったキイロショウジョウバエ、宇宙放射線による影響は見られたのでしょうか?
結果、ハエは宇宙船内にいたにもかかわらず、変化を受けていました。宇宙に行ったハエと、地球に残ったハエを比較すると、宇宙に行ったハエの方が突然変異体の現れる確率が高かったのです。また、その確率の変化は普通のハエより、放射線感受性変異株においてより顕著でした。これは宇宙放射線により損傷を受けたことを反映していると考えられました。
1961年に打ち上げられたハエでの実験結果は入手することができませんでしたが、もっと後に打ち上げられ、毛利さんも搭乗したエンデバー号に乗ったハエでは、地上のハエの2倍程度突然変異を起こす確率が高いという結果が得られました。2倍という数字だけを聞くと、宇宙は危険だと思ってしまうかもしれませんが、その時の実験では、地球上では普通のハエが約10,000匹中10匹に突然変異が見られたのが、宇宙に行ったハエの中では約10,000匹中に20匹突然変異が見られるようになった、との結果でした。
宇宙放射線、人に与える影響は?
ハエにはある程度の影響を与えることが分かった宇宙放射線、人には影響があるのでしょうか?
前述のように、宇宙ステーション内で浴びる宇宙線量は、地表の約1,000倍。日本の法律で定められている放射線作業従事者の被曝限度基準を適用すると、宇宙ステーション内で年間50日以上働くことができません。しかし、実際はこの基準量の4倍以下において、ヒトのがん発生確率の上昇は確認されていません。遺伝的な影響にいたっては、ヒトで放射線を浴びたことが原因で次世代への影響が起こったという報告例はないそうです。
それでも、現在では、放射線影響を最小限にするために常に宇宙放射線の強さや種類を宇宙船内で測定したり、太陽の活動状態の観測によって宇宙放射線の強さを予測したりすることで、強い放射線が来る時は、宇宙船内の壁の厚い場所に退避する等の処置をとれるように研究が進められています。
いつか、宇宙で暮らすには
宇宙に飛び立ったハエにより、宇宙放射線が生物にどの程度の影響を及ぼすかを知ることができました。どうやら、短期間の宇宙飛行では大きな影響は受けないと言えそうでした。しかし、いつの日かだれもが宇宙に住む日を迎えるためには、この宇宙放射線の問題から目を離さないでおくことも重要となりそうです。
【参考文献】
- JAXA HP
- https://iss.jaxa.jp/med/index.html
- 大西武雄、長岡俊治 『宇宙生物化学 Vol.12. NO.1』 宇宙放射線の生物影響研究の重要性、p. 5-13 (1998)
- 理科年表オフィシャルサイト 自然科学研究機構国立天文台編
- https://official.rikanenpyo.jp/