科学・技術は「気持ち悪い」という感情と絶えず戦っている。アウトリーチ活動の重要性
新しい技術を導入する時には必ず安全性が問われる。この流れはソーシャルメディアの登場によって加速している。
こんな記事がある
内容は、JR東日本のICカード・Suicaの情報販売に対しての拒否感をとりあげたものだ。自分の知らない所で自分の関わった情報が商売の種にされている事の気持ち悪さへの拒否反応があると指摘している。
さて、この気持ち悪さというのは個人情報に限ったことではない。
遺伝子組み換え技術、ワクチン問題、原発問題、きっとiPS細胞も将来的に問題にする人が出てくるのだろう。
この気持ち悪さの壁を超えるにはどうしたら良いだろうか。
メリットとデメリットを含めて判断する事が苦手
選挙の投票率が低いのもここに理由があるように思うのだが、日本人はメリットとデメリットを含めて総合評価するのが苦手だ。
技術はもちろんのこと、政治家などについても「潔癖」を求めるのだ。
日本人らしいと言えばそれまでなのだが、潔癖でいてはこれからの将来、より多くの情報が開示されるようになってくると、「白」でいられる事というのは少なくない。さらに言えば、結果的に何も選べなくなってしまうだろう。僕らはそこに気付くべきだ。(都知事選が思い浮かぶ人もいるのでは)
物事には必ずメリットとデメリットがある。
きれいな事ばかり見せられた結果が今の日本社会だが、そこには影もあるのだ。プラスとマイナスを総合評価して、選択するという事を思考のベースにしていかなくては、世の中に不満ばかりが蓄積してしまう。社会基盤として、合理的な思考能力が求められるのは間違いない。そして、それが成されなくては、日本は衰退の一途だろう。
社会基盤の次に来るのがアウトリーチ活動
昨今ではアウトリーチ活動を推進すると文科省が謳っており、実際にサイエンティストは頑張っているのだが、このアウトリーチ活動も合理的な判断力が無いと無意味に終わってしまう事が多いだろう。
何故って、そこにはメリットとデメリットが必ずあるからだ。そして、サイエンティストは片方を隠して論じるのを好まない。
今回のSuicaで言えば、データ解析によって得られるメリットとデメリットが表現されるべきだろう。デメリットばかりが強調されすぎたように感じる。
原発やワクチンと言った、国家単位の選択にならざるを得ないものについては、プラスとマイナスについてしっかりと理解し、民主主義に則って多数決で決めたら全員がそれに従うしかないだろう。国民がどこへ行くのかを選択するのは自分たちなのだ。(選挙だと争点が多すぎて納得感が出ない気がする)
遺伝子組み換え作物やiPS細胞については個人単位で利用の選択が出来る。ただ、利用者が増えないとコストは下がらないので、社会的にどうすべきかという事は別途考えた方が良いはずだ。
人々の判断基準となるのは、情報であり、理解度である。ここに貢献すべきはサイエンティストであり、サイエンスジャーナリストなのだろう。
「気持ち悪さ」によって科学技術の浸透に遅れをとらないためにも、社会基盤が整う前からしっかり準備をしておかなくてはならない。