100年以上続く日本の「理系」老舗企業~その2資生堂編~

100年以上続く日本の「理系」老舗企業~その2資生堂編~

さて、第3回目となりました、100年以上続く日本の老舗企業の紹介です。

前回までの記事興味あれば以下からどうぞ

今回は誰もが知ってる化粧品メーカー、資生堂について。
資生堂が創業したのは1872年(明治5年)。
1872年は日本初の横浜―品川間の鉄道が正式に開通し、豊岡製糸工場が操業開始した年。
ちなみに明治5年は太陰暦から太陽暦に変更された年であり、そのずれで12月3日から12月30日までの28日間が存在しないというちょっと訳ありな年でもあります(うんちく)。

What's SHISEIDO?

資生堂、男女問わず化粧品メーカーということでご存知ですよね?

資生堂は現在日本国内シェア1位、世界5位を誇る化粧品メーカーであり、トイレタリーやヘルスケア事業にも力を入れています。
商品を見てもファンデーションで有名な「マキアージュ」や日焼け止めの「アネッサ」など、女性としては常にお世話になるものばかり。
より詳しくは企業ページの「ひと目でわかる資生堂」などみてくださいまし。
「日本をオリジンとしアジアを代表するグローバルプレイヤー」という目標を掲げています。

 

日本にはない医薬分業システムを目指して

この資生堂を創業したのは、福原有信という人です。
漢方医を祖父に持ち、蘭方医学を学んだ東洋医学と西洋医学のハイブリットな医者のタマゴでした。
その後幕府医学所に就職を決め、明治維新後にはわずか23歳で大学東校(東京大学医学部の前身)で海軍病院薬局長の座につきます。

もうそれ以上何になるんだよと言いたくなるところですが、有信には一つ大きな悩みがありました。
それは世間に粗悪な薬品が出回っていること。
当時日本には合成薬を創る技術がなく、国立医薬試験機関である司薬場もまだ設立されていませんでした。
つまり完全に輸入薬に頼っており、その中の多量の粗悪品が野放しになっていたのです。

そこで、有信は「日本にはない医薬分業システムを開業したい!」という想いから、初の西洋調剤医局として資生堂を開業しました。
品質の良い高価な薬品ばかりを扱ったため、創業当初の経済状況は非常に苦しいものとなりました。
しかし、その先進性と安全、高品質な薬は次第に信用され、徐々に社会の中で地位を確立していきます。
やっぱり課題解決型パッションから立ち上がった企業は強いですよね、ブレない。

 

高い品質で信頼を勝ち取る

大きな転機となったのは日本初の練り歯磨き、福原衛星歯磨石鹸の発売ではないでしょうか?
粉歯磨きしかなく、歯を痛めることが多かった日本の歯磨きが大きく変わった瞬間です。
滑らかで化学的に歯石を除去でき、使用後もお口さわやか。
その値段は粉歯磨きの10倍でしたが、その有用性と品質を買われ海軍などで積極的に使われるようになります。

さらに1897年には化粧品業界へ進出、「オイデルミン」を発売。
これは東京帝国大学の博士の研究に基づく、高品質な化粧品でした。
ちなみにこのオイルデミン、まだ売られていて200mL525円とお手頃価格な上、口コミサイトでは4.2の高評価となっております。
100年以上経っても通用するってのが凄いですよね。
そして、1916年には化粧品業界に本格転換、日本初の香水花椿や、コールドクリームなど次々とヒット商品を生み出し、今もなお続く大企業へと発展していきました。

どの商品にも当てはまるのが、品質が極めて高いということ。
もちろん価格も高くなりますし、これを創業当初から貫くには並々ならぬ覚悟が必要だったんじゃないかと思います。
しかし、その誠実さにお客さんがついてきた。
私たちの身近な薬品に、初めて信頼と品質を提供した有信の精神は今でもひときわ輝いているように見えます。

 

今日はこんなところで。
ではまた!

 

参考:

資生堂沿革 http://group.shiseido.co.jp/company/past/history/index.html#timeline01

資生堂HP http://group.shiseido.co.jp/

くすりの話・中外製薬 http://chugai-pharm.info/hc/ss/medicine/history/history004.html

man@bow http://www.manabow.com/pioneer/shiseido/1.html

@cosme  http://www.cosme.net/product/product_id/274927/top

Wikipedia 資生堂、福原有信、蘭方医学