100年以上続く日本の「理系」老舗企業~その3 NEC編~
今回が最終回の100年以上続く日本の「理系」老舗企業はNEC。
前回までの記事興味あれば以下からどうぞ
What's NEC?
NECの正式名称は日本電気株式会社といい、言わずと知れた大手電機8社の一角を成す超有名電気メーカーです。
有線・無線通信、コンピューター、テレビジョン放送設備、ITサービスなどの通信機、半導体を主力事業としています。
今私がこの原稿を打っているパソコンもNEC製、大変お世話になっております(まわし者ではない)。
このNECが創業したのは1899年、日本では鉄道や航路が次々と開通され、次第に近代の文明文化が流通してきた年でもあります。
創業者の岩垂邦彦は武家出身、兄が東京で暗殺され、一時は仇打ちのため上京するなどその生い立ちはなかなかハードモード。
ですが、国家に尽くすことこそ本当の孝行と考えた邦彦は、仇打ちを断念し猛勉強、現在の東京大学工学部を卒業します。
しばらく工部省(明治政府の中央官庁)に勤務した後、渡米。
なんと、かの発明王エジソンの会社エジソン・マシンワークス社へと就職します。
電流戦争で漢気みせる
そのころ、アメリカではある問題が立ち上がっていました。
それは電力を直流で供給するのか、交流で供給するのか、所謂規格戦争です。
当時電力事業の標準方式はエジソンの発明した直流送電でした。
しかし、直流電流では電灯の使用が集中する夕方には、1マイル以上の距離で電圧が大きく低下してしまうという問題が発生していました。
それに対して交流は遠距離でも電力損失が少なく、しかも直流に変換することもできるという新しい方法でしたが、高電圧を扱うため安全性が問題視されていました。
この問題で起こったひと悶着を電流戦争と呼びます。
(これ調べてみるとけっこうエジソンの黒い一面がみえてドキドキ)
こんな論争の嵐が吹き荒れる中、邦彦は日本の電化を進めるにあたり、現地の技術の仲介役を頼まれます。
当然、社長エジソンの支持する直流電流を紹介・・・というところですが、邦彦は日本全土に電気を送るということを想定し、まさかの交流を支持。
会社の猛反対にも関わらず、よりによって交流電流を扱うライバル会社の設備を日本へ手配してしまいます。
漢すぐる!
とことんやり抜いてワールドスタンダードに
これが原因でエジソンとの仲は悪化し、邦彦は退社、日本へ帰国することになりました。
しかし日本での邦彦率いる交流設備の電力供給は、安全性が向上したこともあって見事成功。
最終的にはエジソン・マシンワークス社も交流を支持し、世界最大の交流電力発電設備を提供するGE社を設立します。
邦彦が日本で独立して岩垂電気商店を開いた時、この業績によりGE社の熱烈なラブコールを受け、岩垂電気商店はめでたくGE社の正式代理店となったのでした。
その後はさらにもう一つの大企業、ウェスタン・エレクトリック社とも代理店としての契約を結ぶことに成功し、遂には合併、岩垂電気商店は現在の日本電気(NEC)となりました。
今回の成功は間違いなく、自分のボスに迎合することなく冷静に技術を見極めた客観性、そしてそれをきっぱりと主張した強い意志です。
ボスが言っていることにはついつい同調してしまうもの。それが大御所ならばなおさらです。
しかし、結局誰が何と言おうと、実験に裏付けられた事実は事実。
私達も客観性とブレない心を持って、研究に挑んでいきたいものです。
参考:
日本電気 HP: http://jpn.nec.com/index.html
岩垂邦彦動画 http://jpn.nec.com/ad/onlinetv/introduction/iwadare_h.html
Wikipedia 日本電気、岩垂邦彦、電流戦争
JSME談話室 http://www.jsme.or.jp/column/200610.htm
印刷通信社:あのエジソンの心を動かした男 ~ 岩垂邦彦氏 http://www.intsu.net/theman_changed_Ejison.pdf
http://biography.sophia-it.com/content_jp_great/%E5%B2%A9%E5%9E%82%E9%82%A6%E5%BD%A