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「普通じゃない」に魅せられて 谷口 喜一郎

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谷口 喜一郎 学習院大学 理学部 生命科学科 助教

 細胞は,ひとつの細胞核を持つ。生物の授業でそう習った人も多いのではないだろうか。しかし,生物をかたち作るすべての細胞がそのルールを守っているわけではない。学習院大学の谷口喜一郎さんは,そんな常識破りな細胞がなぜ存在しているのか,その理由を解き明かすべく研究を進めている。

ルールを守らない細胞

「この細胞は明らかに変だ」。ひとつの細胞の中にふたつの細胞核が入っている「二核細胞」を顕微鏡越しに見た谷口さんはそう直感した。通常,細胞分裂では,細胞内で有糸分裂と呼ばれる二対の染色体群の分離が行われたのちに,細胞質が2つに分かれることで細胞が分裂する。しかし,このとき,細胞質が分裂しないことによって,二核細胞は生まれる。がん化した部位では,有糸分裂の異常によって二核細胞が多く見られることが報告されており,これまで病気との関わりが主に研究されてきた。一方で,正常な肝臓や心筋細胞にも二核細胞が存在していることは古くから知られていた。「生物のルールを破るような細胞がなぜ存在するのかを知りたかった」と研究を始めた当時を谷口さんは振り返る。しかし,肝臓や心筋の細胞はいつ二核化するかわからないため,研究対象には適さなかった。そんなとき谷口さんに力を貸してくれたのは,ある小さな虫だった。

核が動けば細胞のかたちが変わる

谷口さんが研究に用いたのはキイロショウジョウバエというハエの一種だ。じつは,オスのキイロショウジョウバエのというチューブのようなかたちをした器官は,すべて二核細胞でできている。そこで谷口さんは,附属腺細胞の有糸分裂を止める遺伝子を使って,核がひとつしかない細胞を附属腺につくり上げた。この単核細胞の混ざった附属腺において二核細胞と単核細胞の違いを顕微鏡で観察していたところ,二核細胞は単核細胞よりも多様にかたちを変化させることができることに気づいた。つまり,組織が横に引っ張られると,核が横に並び,組織は平べったくなる。一方,横から押しつぶす力が加わると,核は移動して縦に並び,細胞は柱のような形状になる。2つの核が細胞内で動くことで,組織の伸縮性が高まるのだ。今まで見落とされてきた二核細胞の働きが,日の目を見た瞬間だ。

(左)唾液腺の単核細胞。(右)附属腺の二核細胞。赤く光っているのが細胞核。
(左)唾液腺の単核細胞。(右)附属腺の二核細胞。赤く光っているのが細胞核。

子孫を残すために異常さを取り入れる

谷口さんが研究対象とした附属腺は,性ペプチドという物質をチューブの中にめている。性ペプチドには,自分が交尾したメスが他のオスと交尾できなくする働きがあるため,オスは自分の遺伝子を残すために,性ペプチドをより多く溜めてメス体内に分泌する必要がある。二核細胞は横にも縦にもかたちを変えることで,附属腺が伸び縮みすることを助け,多くの性ペプチドを溜めたり,しぼり出すことを可能にしていたのだ。「二核細胞があるかないかで,分泌できる性ペプチドの量は10%近く違うことが計算でわかりました。二核細胞をつくり出すことは病気などのリスクにもなり得ますが,子孫を残していくうえでは重要な細胞なのでしょう」。キイロショウジョウバエ以外にも,実バエという種が二核細胞をもっていることが知られているが,この2種のハエは進化の過程でそれぞれ独自に二核細胞という異常な性質を獲得したと考えられている。それほど,ひとつの細胞の中に核を2つ存在させることは,生物にとって大きな意味があるのだろうと谷口さんは考えている。

(左)二核細胞の核が横に並び平べったくなることで,附属腺内に性ペプチドが多く溜まる。(右) 二核細胞の核が縦に並ぶことで附属腺が縮みやすくなり,多くの性ペプチドを分泌することを助けている。
(左)二核細胞の核が横に並び平べったくなることで,附属腺内に性ペプチドが多く溜まる。(右) 二核細胞の核が縦に並ぶことで附属腺が縮みやすくなり,多くの性ペプチドを分泌することを助けている。

普通じゃないものには理由がある

今後は組織のすべてが単核細胞でできた附属腺をつくり,二核細胞の附属腺とその伸縮性の違いを観察することで,二核であることが生物にとって確かに有利であるという事実を見つけたいと谷口さんは言う。「ひとつの細胞に,ひとつの核」という生物の大原則を破り,病気になるリスクを負ってまで二核細胞が存在する理由が知りたい。そう語る谷口さんは,「生物の法則」を解明する壮大な問いへの挑戦を楽しんでいるようだ。なぜ生物は今のかたちにたどり着いたのか。長い進化の歴史の中で獲得してきた生存戦略のカギは,じつは「普通じゃない」ものの中に隠されているのかもしれない。 (文・鷲見 卓也)

谷口 喜一郎(たにぐち きいちろう)プロフィール

東京理科大学基礎工学部卒業,東京理科大学大学院基礎工学研究科修士課程修了ののち,同研究科博士課程で博士(工学)を取得。同大学基礎工学部・博士研究員を経て,学習院大学助教に着任,現在に至る。ショウジョウバエの細胞を用いた,生体組織の挙動のメカニズム解明や遺伝的機構の研究を専門とする。腸などの内臓の形態制御や異常細胞生成,細胞死のメカニズムが主な研究領域。

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