〔リバネスセンシズ〕研究者と共にワクワクを醸し出すひと(後編)
リバネスセンシズでは、リバネスメンバーのインタビューを通して、そのパッションを紐解き、実現しようとする個々の未来像をお伝えします。
上野 裕子(うえの ゆうこ)
博士(理学)
専門分野:好熱菌・好冷菌のタンパク質の生化学的解析と結晶構造解析
(聴き手:佐野 卓郎)
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上野さんはたくさんの仲間と関わりながら、色々なプロジェクトを経験した。そんな中で、ずっと関わり続けてきたプロジェクトがある。『someone』だ。インターンのときから大好きだった『someone』に対する彼女の心に、ある変化が現れたのは、入社後のことだった。
佐野:2013年に入社して、インターンのときと大きく違うと感じた点はどんなところですか?
上野:同時並行の多さですね。インターンのときは『someone』のことだけを考えていれば良かったんです。全身全霊を集中していました。私がリーダーになったときも、そうやって一生懸命取り組んでいることが、成功へ導く方法だと考えていました。
でも入社してから、プロジェクトを並行して動かす必要が出てきました。今思うと大した量ではなかったんですが、同時並行が本当にできませんでした。一つ一つの仕事を丁寧にできてない自分の不甲斐なさみたいなのを感じていましたね。
佐野:今は、できるようになりましたか?
上野:はい、人並みには。緩急のつけ方を学んだんだと思います。もちろん今だって、色んなところでボロがでることもありますよ。でも、ポイントをしっかりと押えることはできるようになったと思います。
佐野:リバネスに入社して最初に関わったプロジェクトは何でしたか?
上野:私は、入社してからもずっと『someone』をやっていましたね。
佐野:どうでしたか?
上野:つらかったです。丸さんに「お前、実は『someone』好きじゃないだろ」って言われて、一旦辞めたことがあるんですが、そのときはすごくすっきりしたのを覚えてます。
私は入社してからずっと、仕事ができるようになりたくて、スキルばかりを追いかけていました。たとえば冊子制作で言えば、記事が書けるとか、取りまとめができるとか。スキルが低かった私は、日々作業に追われるようになっていったんです。ふと気が付くと、大好きだった『someone』が好きでなくなってしまっていました。
佐野:今思えば、入社してから上野さんの事業部異動があると『someone』自体も紐付いて異動していましたね。
上野:私がメディア開発事業部に異動したときですね。一旦『someone』の担当から外れたのは。その頃、藤田さんや前川さんと「web of RAMEN」や、お笑い芸人の方と一緒に演劇のような企画を展開したり、企画・演出みたいな仕事をたくさんやらせてもらいました。とても面白かったんです。
その経験とノウハウをもって、もう一度『someone』に取り組んだとき、楽しくて楽しくて!一冊をどういう構成にしようかとか、ずっと考えていました。
佐野:現在、人材開発事業部長をやっていると思うんですが。
上野:はい、良いチャンスを頂いたと思っています。部長となると事業部全体のことを考えるわけですが、部長1年目は、お金のことばかりを考えていました。それまでは、売上や利益のことなんて考えたことがなかったですから。
部長になり、これまで担当してきたプロジェクトを後輩に任せる必要が出てきました。後輩を信じてプロジェクトを託すというのは、意外に難しいものでした。
私自身、至らないことばかりで何も達成できなかったのですが、新しい視点をたくさん得ることができました。
佐野: 今後はどのようなことに取り組んでいきたいですか?
上野:最近、人材開発事業部ではQPMI研修というのを展開しています。課題(Question)を見出し、情熱(Passion)をもって取り組むことから始まるQPMIサイクルの実体は、非常に掴みにくいものかもしれませんが、研修を通してQやPを掘り起こし、開花する瞬間を目の当たりにしてきました。この瞬間をもう少し分解して見ていくことはできないだろうか、それによってQPMIサイクルを回し始める基点やインスピレーションみたいなものが見いだせないかと考えています。
そんなことができるのかどうか、今の私にはまだわかりませんが、でも少なからずQPMIサイクルを回している人たちは、すごく楽しそうで、ワクワクしている。そういう人たちをもっと増やしていきたいと思います。
入社以来、異動を重ねること5事業部。環境が変わり自身も成長する中で、『someone』に対する上野さんのアプローチも進化を遂げてきている。様々なプロジェクトが生み出される瞬間に立ち会いながら、今後も多くの研究者とともにワクワクする仕掛けを創り出すだろう。