いくつものシナリオを描きながら進む

いくつものシナリオを描きながら進む

五月女 剛
カリフォルニア大学ロサンゼルス校

地球と月の間に浮かぶ無数の球体をした透明なドームの中で、普段着の人々が思い思いに映画や宇宙の景色を楽しむ。球体の周りには長期滞在用シェルターが並び、ドームの中心とはエレベーターでつながれる。これが五月女さんの描く宇宙ホテルだ。

起草から2ヵ月、夢を追いかけ退社

6歳で映画「スターウォーズ」に衝撃を受け、自由に宇宙を行き来する世界に憧れた。9歳になり、スペースシャトルの打ち上げをテレビで初めて見たときに感じたことは、「なんてのろまな乗り物なのだろう」。映画と現実とのギャップの大きさに愕然とした。このころから、五月女さんの関心は宇宙開発一本だ。東京工業大学の修士課程ではスペースシャトルの力学的形状の最適化を研究した。その後入社した川崎重工業株式会社では、宇宙設計部を希望したが、配属されたのは航空機部門。「落胆したものの、航空機の構造解析もロケットの設計に役立つ。4年間は『川崎大学』だと思ってここで頑張ろう」。川崎重工で経営に携われる層まで昇進し、宇宙開発部門を推進していこうとも考えたが、そこに行き着くまでに生涯の大半を費やすことになる。死ぬまでに日本で、自分の思い描いている宇宙の世界を実現することは無理だと考えた五月女さんは、「エンジニアとして一人前になる」「海外プロジェクトを1つ完成させる」など、いくつかの課題をクリアしたら会社を辞めて、最先端の宇宙開発の現場アメリカに行くことを目標にした。
「宇宙のことを考えている時が楽しい。他のことをずっとやっていく自分の姿はピンとこない」。入社から4年目の2000年10月15日、時機を見計らったように「宇宙ホテル」の具体的なアイディアが頭の中に溢れてきた。「人生を賭けて実現したい夢だと確信した。迷いはまったくなかった」。夢に突き動かされるように、起草からわずか2ヵ月後、川崎重工を退社した。

最新の宇宙開発ビジネスに触れる

渡米した先のロサンゼルスは、航空宇宙産業の中心地だった。宇宙関係のイベントが開かれれば、アポロ11号のパイロットであり人類初の月面歩行を体験したエドウィン・オルドリン(通称バズ・オルドリン)や多くの宇宙飛行士が即座に集結する。そこには優秀なエンジニアを多数輩出する大学や企業が集まり、テスト飛行ができる広い土地もある。また、宇宙開発を自らの手で実現させたいという情熱を持った実業家が多くいる。巨万の富を築いた彼らの中には何百億という資金を投じてロケットを開発したり、2010年までの宇宙旅行開始を目指したり、2012年までに宇宙ホテル開業を計画する者も現れ始めていた。五月女さんが渡米したのは、ちょうどNASAが主導権を握っていた宇宙開発に、徐々に民間が参画し始めたころだった。「民間が参入することでコスト意識や安全面が強化され、今まで積極的に行われてこなかった投資も加速する。これから宇宙産業は巨大ビジネスとして急速に発展する」。日本では誰に話しても信じてもらえなかった五月女さんの夢も、宇宙産業の最先端をいくロサンゼルスでは必ずしも非現実的なものではなかった。

特徴を最大限に生かすために自分の型を見極める

渡米後五月女さんは、宇宙開発に情熱を持った多くの実業家と同じ道を辿ろうとしていた。それは、MBAをとってビジネスを起こし、その資金を基に宇宙開発を始めることだ。しかしそのシナリオはMBA受験の失敗という形で崩れた。川崎重工時代の先輩のつてを頼りに航空機エンジニアとして働きながら様々な形で宇宙産業に携わる内に、五月女さんの意識に変化が起こる。
「人には2つのタイプがいる。虚という表現が正しいかわからないが、クリエイティブな一握りの人は巨万の富を築ける。けれども、ほとんどの人と同じく、自分はそのタイプではないと気づいた。コツコツと地道な努力を積み上げていく実と呼べるタイプの人間が、一握りのクリエイティブな人(実業家)の真似をしてはいけない」。日本では実型の人への評価が低い。しかしアメリカでは実型の大学教授やエンジニアに対して正当な評価がなされていた。実型の人もクリエイティブな人と対等な立場でいられる。「世界の最先端の集団の中に対等な立場で参加することが大切だ。そのために、自分はもう一度エンジニアとしての専門性を極め、実型の研究者の立場で他の才能を持った人と組んで夢を実現させよう」。五月女さんは次のシナリオを材料開発に携わる研究者になることに定め、UCLAに入学した。

ゴールへ辿りつく道は1つではない

五月女さんは、常に自分が信じるゴールに向かって突き進んできたといえる。川崎重工で宇宙開発に携われなかったこと、MBA受験の失敗。行く手を阻む壁に何度もぶつかったが、1つの道が行き止まりになってしまったら、別の道を選択した。そして「宇宙ホテルの実現」という自分のゴールに向かって、エンジニアとしての専門性を武器に挑戦することを決めた。苛酷な宇宙環境から人々を守りつつ、宇宙の景色を楽しむことができるホテルを作るためには、透明で軽く、強度の高い特殊な材料が必要だ。五月女さんは現在、その材料の研究をカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で行っている。
五月女さんは自身の人生設計を「ビジョン、ストラテジー(戦略)、タクティクス(戦術)」の3つに落とし込んでいる。ビジョンが夢の実現だとすれば、そこに行き着くまでの様々なシナリオがストラテジーだ。ビジョンは揺るがない。しかし、経験を基に、最適なシナリオへと修正し、時に大胆なシナリオの書き換えも辞さない。そして、日々の行動というタクティクスに落とし込み、全力で取り組む。この繰り返しが夢を実現に導く。

焦っても、ビジョンを見据えて

夢の実現までの道のりは遠く、時には現実とのギャップに焦ることもある。「頭の中では月面基地ができるくらいが当たり前なのに、現実では20年かけてようやく宇宙ステーションを建設している。なんて開発のスピードが遅いのだろうと思う。でもそれは自分の手で夢を実現できるチャンスでもある。だから今は焦らないように自分に言い聞かせている。」自身の生き方にも、夢の実現にも、確かな手ごたえを感じ始めている。


1972年生まれ
1995年 東京工業大学機械物理学科・学部卒
1997年 東京工業大学機械宇宙学科・修士卒
1997-2000年 川崎重工(株)航空宇宙事業部勤務 航空機構造解析エンジニア
2001-2005年 Van Nuys空港内AeroMod Engineering Inc Chief Stress Analysist
2005年 UCLA大学院進学

2006年 UCLA博士課程研究員