博士がイノベーションを起こす

博士がイノベーションを起こす

慶應義塾大学 特別研究助教 木村 聡 博士(理学)

埼玉大学理学部卒業。2010年筑波大学大学院生命環境科学研究科にて博士(理学)を取得。同年より慶應義

塾大学特別研究助教として株式会社リバネスでインターンシップ中。

平成20 年度、「イノベーション創出若手研究人材養成」事業という博士のキャリアパスを広げるための試みがスタートした。民間企業でのインターンシップやトレーニングプログラムを通して、アカデミア志向の博士の視野を広げていこうという試みだ。この事業を活用して自身のキャリアを切り開く博士が、今、社会でその力を発揮しようとしている。

新たな価値を生み出したい

現在、慶應義塾大学の特別研究助教を務める木村聡さんもこの事業に参加する博士人材の1人だ。環境変化による微生物の転写応答に関する研究していた木村さんが「働く」ということを意識したのは修士課程在学のとき。自身は博士課程に進むことを決めていたが、周りの友達が就職活動の話題で持ちきりになっているのを横目で見て、世の中にどんな企業があるのか気になり始めた。「社会に出たら、新しいことを生み出していけるような人になりたい」そう思っていたという。博士課程に進んだのも研究という世界で1つの成果を自分の力で生み出したいという気持ちからだった。しかし、その後の
キャリアについてはぼんやりしていた。「その頃のイメージでは、規模の小さな会社のほうが自分で考えて動き、プレッシャーのある仕事を任せてもらえるのではないかと思っていたんですよ」。そこで、ベンチャー企業や小規模で経営している企業のリストを眺めて過ごした。その中にはのちにインターンシップに参加する会社、株式会社リバネスもあった。

ここなら成長できると確信できた

博士課程から研究室を変え、微生物の環境応答に使われる受容体について研究した。博士号取得の見込みが立ちそうになった頃、再び頭をもたげてきたのが就職のことだった。大学や研究機関でのポスドクなど、博士号取得者を求人している職業を見ていたときに、リバネスのことを思い出した。社内には博士号取得者が多く、各々の専門性を活かし「科学コミュニケーション」をビジネスとして成り立たせていることに興味を持った。早速、会社説明会を兼ねた社員・インターンシップ生合同の合宿に参加し、そこで社内の人が生き生きとしている姿を目の当たりにした。「社員もインターン生も自分の考えを持って、やりたいことに向かっている姿に、自分もここで成長したい!と思ったんです」。合宿後、卒業までは学生インターンとして週末に実験教室や科学雑誌の取材を経験し、く伝える」技術であらゆる分野に進出しているリバネスの事業の広がりを体験していった。

アルバイトでもいいからここで働きたい!

「卒業した後はアルバイトでもいいからここでやってみたいと思っていたんです。この会社なら、自分がイメージしていた『自ら新しいことを生み出していく』という仕事ができると思いました」。そんなときに偶然、慶應義塾大学がイノベーション創出若手研究人材養成事業に採択され、MEBIOSというプログラムを立ち上げていることを知った。そこでは、アカデミックな専門能力にとどまらず、国際的な幅広い視野、実社会のニーズに答えられる能力を持った若手人材を育成するため、大学が博士号取得者や取得見込み者を雇用し、企業でインターンシップを経験することで産業界のニーズに対応できる人材として輩出する。企業での研修のほか、座学研修で知財、製薬、経済など各界の第一線で活躍する人の講演を聞くことで視野を広げ、企業経験が豊富なメンターとの面談を通して自らのキャリアを考えていく。専門分野ばかりに目が行きがちな博士人材にとって必要な機会が多く用意されていた。
卒業後の5月からは、MEBIOSの選抜者として様々な機会を活かして自らをトレーニングしつつ、リバネスを研修先に設定し、その後の就職を見据えた活動を行うことにした。

研究室と会社の違いを目の当たりにする

リバネスでは研究開発事業部に所属し、実験教室や研究者への取材以外にも実験キットの開発、企業研修の講師や研究者向けの情報発信サービスなどに携わることになった。週末に学生としてインターンに参加していた頃とは比べ物にならない仕事量に何とか食らいつく日々。時間の使い方の意識が大幅に変わった。研究室にいたときに自分がいかにだらだらと時間を使っていたのか思い知らされた。企業研修では講師を任せられ、科学機器を売る文系出身の営業担当の人に、研究者がどんな風にその機器を扱い、どのような成果が生まれるのか、実験を交えたレクチャーを行った。大企業の人たちを前にしてのプレゼンテーションは相当なプレッシャーになった。いかにわかりやすく、重要なポイントを伝えるか。専門が近い人たちに囲まれた研究室にいたときには意識していなかったことだった。しかし、それは社会で様々なバックグラウンドを持つ人たちと仕事をするにあたって、どんな場面においても必要な要素であることに気づいたのだ。学生のときとの大きな違いに戸惑いながらも、働くモチベーションは下がることがなかった。その理由は、周りの「人」にあると言う。「同じように高い専門性を持った仲間が、自分のやりたいことに向かって頑張っている。それを見ると、自分も頑張ろう!と思えるんですね」。

やりたいことを声に出そう

「博士人材は研究の過程で専門性や物事に取り組む課題解決力、精神面での強さを身につけている人が多い。様々なバックグラウンドを持つ人たちとコミュニケーションを取りながら、ビジネスマインドや様々なスキルを身につけることができれば、その強みは必ず活かせます」。と、木村さんの受け入れ機関である株式会社リバネス人材開発事業部長の長谷川和宏さんは話す。実際にリバネスでは博士号取得者を積極的に採用しており、その割合は全社員数の半数に上る。木村さん自身は半年のインターン期間が過ぎ、やりたい仕事が見えてきたという。自分のような博士人材が世の中を変えていくために、研究、キャリア、あらゆる面からサポートできる動きを作りたい、と考えるようになった。自身はMEBIOSでキャリアを積むチャンスを掴み、インターンシップに参加することで会社と研究室との違いを学んだ。今は「こんなことがしたい」、と自分のイメージを声に出すことで、周囲から様々な情報が得られ、確実に実現に向かって進んでいる手ごたえを感じているそうだ。木村さんはMEBIOSを活用するにあたって「担当者や上司とよく話すことで組織が社員に求めていることを掴み、企業で働くことのイメージがついた」と話す。企業と博士人材の壁を取り払う一石となるこのプログラムは全国の大学で実施されている。百聞は一見に如かず。企業で就職を考えている博士人材は卒業後の選択肢の1つとして考えてみてはどうだろうか?

(文 環野真理子)