学生よ、今こそ本気で遊べ

久米繊維工業株式会社
取締役会長 久米 信行 さん

久米繊維工業は1935 年に現在の墨田区で創業したいわゆる「町工場」だ。1950 年代に、当時下着と揶揄されたTシャツを「色丸首」と命名し、いち早く製造・販売したことで知られる。今回お話を伺った久米信行さんは3 代目社長(現会長)。バブル崩壊後の激動の時代に、会社の舵を切った。

常に新しいことを

1990 年代初頭、久米さんは大学卒業後、家業を継がず、ゲーム会社に勤めていた。しかし、バブル崩壊が転機となる。「成長期に社長はいらない。でも一歩間違えば会社が飛ぶ、そんな困難には社長の舵切りが必要だ。それを今からやるから見に来い」。2 代目社長の覚悟を知り、久米さんは家業を継ぐ決意をした。94 年には代表取締役に就任。「同じことを続けてるとお客様がどんどん減っていく。常に新しいお客様を創出しなくてはならない」。前職のつながりもあり、1995 年にはT シャツの受注生産サイトT-GALAXY.COM を立ち上げた。現在では当たり前のインターネット販売だが、Yahoo! のサービスが登場したのが94年だといえば、スタートの早さがわかっていただけるだろう。

井戸端会議が原点

少人数でオリジナルT シャツを作れるサービスは今では常識となった。「みなさん、儲からない少量受注販売にインターネットを使ったことに着目します。でもこのサービスの下地は昔からあるのです」。ゲーム会社の営業職時代、量販店でのデモプレイにヒントがあった。ファミコン全盛の当時、新ソフトをいち早く知る子は人気者。彼らは学校や塾でゲームの話をする。ゲーム好きな子たちがその周りに集まり、口コミ情報を元に買うソフトを選んでいた。「みんながほしいものではなく、好きな人同士で集まって語りあう、そんな井戸端会議がいつの時代にもあるんです。それって今のインターネットと一緒」。古くから行われてきた井戸端会議が、現代の世界でインターネットという場所で始まっている。それを見抜いたのが久米さんだった。

東京に溢れる本物に触れろ

現在は明治大学で講師も務める。「とにかく本物に触れてください」と久米さんは学生に口酸っぱく伝えているという。美術館には世界の名画が集まり、都内の1 つ星以上の店だけでミシュランガイドができる今の日本には本物が溢れている。「いい物をパターン認識することで、T シャツのような汎用品にも付加価値のつけ方を知ることができるのです」。もう1 つの大切なことは、好きなことを持つことだと久米さんは教えてくれた。「これを持っている人はそれだけで僕から言わせればエリート」。理系の学生は好きなことを持っている人が多く、伸びしろがあると久米さんは語る。夢中になれる好きなことを持つこと。本物に流れる価値を知ること。そうして自分が付加する新しい価値を創造することができる。町工場の匠が見出した仕事の哲学には、理系学生が強みを活かすための普遍的な方法が隠されていた。

久米 信行 さん プロフィール

日本で最初にT シャツを作った国産専業メーカー、久米繊維工業三代目。慶大経済学部卒。明治大学ブログ起業論講師。『ビジネスメール道』、『すぐやる技術』著者。