研究開発で不可能を可能にする-SUNTORYの青いバラ開発の現場から-

研究開発で不可能を可能にする-SUNTORYの青いバラ開発の現場から-

2004年、SUNTORY blue rose APPLAUSE(喝采という意味、花言葉は「夢かなう」と名付けられた人類史上初の青いバラの開発にサントリーが成功したニュースは世界中を驚かせた。開発開始からお披露目までに実に19年という月日が費やされた。なぜ営利を考えて研究を行う企業が、不可能と言われる研究開発に挑戦し、長い時間をかけて1つの商品に挑戦したのだろうか。その答えを探すため、長年にわたりAPPLAUSE開発に携わっている研究員、中村典子さんに話を聞いた。

企業理念を象徴する研究をうちたてる

長い歴史の中で品種改良が繰り返され、今では1000品種を超えるとも言われるバラ。「青いバラ」は従来育種では生み出すことができず、「不可能」の代名詞ともされてきた。しかし1980年代にバイオテクノロジーが飛躍的に発展する中で、遺伝子組換え技術によって青色色素の生成に関わる遺伝子をバラに導入できる可能性が出てきた。そこで、サントリーでも1990年から研究をスタートさせる。「もともとサントリーには酒の原料になる大麦やブドウなどの品種改良で培った栽培技術がありました。それに、古くから自社の商品やサービスで皆さんの心を豊かにするという、生活文化企業を目指した取り組みがされてきました。それは花でも一緒です」と答えてくれた中村さんは、2000年10月、研究チームに異動してきた。もともとは医薬品開発の部署で働いていたが「花の開発がやりたい」という希望が通り、そこから彼女は青いバラの開発プロジェクトにも関わることになった。

社会のために、技術の底上げを

開発には大きな課題が2つあった。青色色素をつくる遺伝子を単離すること、そして遺伝子の導入方法の開発だ。モデル植物として研究が進んでいたペチュニアを対象に、約3万個の遺伝子の中からいち早く青色に関わる遺伝子を見つけることができた。しかし、その遺伝子を苦労してバラに入れても青色の発現が見られない。開発は失敗の連続だった。それでも同社はプロジェクトの撤退という選択をしなかった。中村さんのチームは、様々なプロジェクトを掛け持ちしながら、青いバラ開発に取り組んでいた。「上場企業だったら、絶対に辞めろ、と言われていたと思います。でも、サントリーには『利益三分主義』といって事業で得た利益を社会、お客様、将来への投資に役立てるという考え方があるんです。会社のためだけでなく、社会への貢献にも役立てたい。そのために技術的な不可能を可能にする必要がありました」。同社では多くの研究員にまだ芽になるかわからない研究に割く時間も与えられている。青いバラ開発も、多くの社員が関わる夢となっていった。

逆境の向こうに新しい価値がもたらされる

この研究を続けたことは、不可能に挑み続ける企業としてのサントリーのブランド力を高め、新たな技術開発につながるなど、結果として大きなメリットを生み出した。不可能と言われ続けたことを可能にしたことで、青いバラが人々の希望となることも分かったという。「難病の子供さんから勇気づけられた、という手紙をもらったりして、それが研究の励みになりました」。一方で、ビジネスとしてみると未だAPPLAUSEは大きな利益を生み出すことができていない現実もある。「APPLAUSEをもっと多くのお客様に楽しんでいただくためには多くの課題があります。商品化して初めて、研究者目線では気づけなかったことに気づくことができました」。今の課題はさらに品質を向上させ、バラをもっと青くするための開発だ。中村さんも、様々な青い花をモデルにした新たな戦略などに関わっている。「何としても紫は超えたいんです。誰が見ても『青い』と言えるものを生み出すのが次の目標ですね」。その言葉からは企業研究者としての諦めない姿勢が窺えた。 (文 多羅尾あさみ)

|中村 典子さん プロフィール|

1997年にサントリー株式会社に入社し、生物医学研究所に勤務。2000年に同社の基礎研究所の植物グループへ異動後、青いバラやカーネーションの研究開発、評価などを担当した。現在はサントリーグローバルイノベーションセンター株式会社の研究部に勤務し、青いバラやカーネーションの他、ユリやキクの開発も担当している