自分らしい働き方を選ぶ

自分らしい働き方を選ぶ

株式会社スタッフジャパン

人生には様々な転機がある。株式会社スタッフジャパンでは、研究員を契約社員として雇用した上で、それぞれに適した企業へ派遣研究員として送り出す。安定した雇用形態のもと、研究員が実力を発揮し、実績が認められて派遣先の企業に就職したり、研究員を経て、同社のコーディネーター職になったりと自らのステージを見つけていく。研究に従事したいと願う理系人材が、状況に応じた働き方を選択できる。こんな働き方が、これからの研究職の一つの形になるかもしれない。

一流の研究所で幅広い経験を積む

農学系の大学院時代、大豆サポニンの生理機能に関する研究に没頭していた八木絵美さんが研究員として派遣されたのはつくば市にある産業総合技術研究所( 産総研) の糖鎖医工学センターセルエンジニアリング研究部門。最先端情報が連携企業や研究機関から入ってくる一流の職場だ。八木さんは食品メーカーの開発部門への就職活動中、自分の納得する働き方が見えてこないことに不安を感じた。そして、様々な職場に入ることで、幅広い研究技術を身につけ、自分に合った働き方を決められる、スタッフジャパンの派遣研究員という仕事に魅かれたのだ。
職場内で繰り返される活発な議論で自身の視野を広げ、知識を得ることができた。また、自分の手がけている技術が様々な分野で応用されていることを知り、自分の仕事が社会に役立つ新しい発見につながる実感を持てた。自分の仕事を通して誰かの役に立ちたい。自分の研究と社会との関わり方に方向性を見出した彼女はこ
の職場で日々自分を磨いている。 一方、同じ職場の先輩社員である笠原由子さんは、企業への研究職としての就職に苦戦をしていた。そのときに、派遣研究員という仕事を知ったのだ。「大好きな研究を続けたい。夢を諦めたくない」。自分の想いに忠実に、スタッフジャパンでの派遣研究員という仕事を選び、社会に飛び込んだ。

笠原さんが今の職場に配属となったのは大学院時代の細胞培養の経験を買われたからだ。細胞培養の経験があるのはチームで笠原さんのみ。海外とのやり取りが必要な細胞の買い付けから、実験系の組み立てまで、すべてが一任さ
れた。これまでの研究経験を信頼され、任されることがうれしかった。産総研では、研究員も責任のある仕事を任される。派遣という仕事のイメージはこの職場で大きく覆された。八木さんも笠原さんも、社会人として責任ある立場で誇りをもって研究に従事している。

コーディネーターという仕事

研究を続けている中で、いろいろな転機や、考え方の変化は生まれてくる。研究を続けるか、やめるか。特に女性の場合、結婚や出産などで働き方を変えることを余儀なくされることも少なくない。
「これからは働く女性の出産、育児に関する支援制度も増える時代。私がその制度を勉強して社員の方に活用してもらいたい」自分自身も一児の母である河村友里さん。別の派遣会社で研究業務に従事した経験を、スタッフジャパンのコーディネーター職に活かした。社員の希望に沿った職場を紹介し、個々の状況に応じて相談を受けるのが彼女の仕事だ。これまでの経験を活かして、同社の研究員へのきめ細かいケアを心がける。特に女性研究者はキャリアを築いていく上で、女性としての幸せも考える。この先、結婚、出産と様々な段階で転機があるかもしれない。そんな時でも、柔軟に研究の道、あるいは自分の望む働き方を選択していって欲しい。研究に従事した経験があるからこそ、ひとりひとりの想いを理解し、その人の生き方に沿った職場を紹介できるのだ。今は保育園への子供の送り迎えのため、変則的な就業時間で働いている。母となって働く姿は、後輩社員達に女性としての柔軟な生き方を提示している。
変化に応じた働き方を描く
研究に没頭し、キャリアを積み重ねていきたい。派遣研究員という形で社会での一歩を踏み出した八木さんと笠原さんの二人は、これからも研究の現場で全力を尽くしていくはずだ。また、家族をつくり、研究員からコーディネーターとなり、結婚・出産という大きな転機に恵まれた河村さん。職場の理解のもと、仕事も子育ての大変さも楽しみながら乗り越えることができる。新しい働きかたのスタイルとして、一歩先を行くその姿は, 派遣研究員として社会に歩み出した二人にも頼もしく映る。人生の状況に応じて、自分に合った働き方が変化する。言われてみれば当然のことだが、このことを知らない人もいる。自分らしい働き方を選ぶ時代。可能性は無限に広がっている。( 文・環野 真理子)