第20回博士の哲学 「泥臭く、地道に、自分の場所をつくりあげる」

塚田 周平 博士(農学)(左) 2009年、東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命工学専攻修了。修士課程在学時の2003年からリバネスにインターンシップとして参加。2009年、リバネスに入社、植物工場を始めとした新規技術の導入、地域事業者や高校生、大学等研究機関と連携した商品開発などを担当。2010年11月より地域開発事業部長。 川名 祥史 博士(環境学) 2008年、横浜国立大学大学院環境情報学府環境生命学専攻修了。博士号取得後、横浜国立大学ベンチャービジネスラボラトリーで講師を務め、2009年10月に沖縄県で株式会社LDファクトリーを設立、代表取締役に就任。2013年4月には株式会社マイロプスと合併し、株式会社マイロプス代表取締役COOに就任。その一方で、東京バイオテクノロジー専門学校の講師を務める。

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「地域活性」をテーマに飲食事業やマーケティング事業を展開する、株式会社マイロプスの代表取締役COOを務める川名祥史さん。世界の食料問題を解決したい、という夢を抱いて農学研究で博士号を取り、今は株式会社リバネスで植物工場のプロデュースなど、新しい農業のかちをつくる地域開発事業部部長の塚田周平さん。2人は、ともに博士課程で研究をしながら、ビジネスの現場に出て、自分の道を模索してきた、博士の新しい活躍の場をつくろうとしている人たちだ。「地域の活性化」というユニークなテーマに取り組む2人の博士に、自分が活きる場所のつくり方について聞いた。

袖振り合うも多生の縁

塚田 僕たちは、株式会社リバネスのインターンシップで出会い、いろいろな仕事を一緒にしましたね。地域活性がテーマの川名君の会社で、今やっていることを紹介してもらえますか。

川名 「日本のすみずみまでを元気にする」をスローガンに、地域の素材や名産品を東京の飲食店に集めて紹介したり、特徴ある商品を開発するお手伝いや、そのプロモーションをするウェブサイトやパンフレット、イベントを企画したりし ています。

塚田 もともと川名君が起業家を目指したきっかけは何ですか。

川名 最初から「起業家」になりたい、と思ってなかったんですよ。僕は大学でマングローブの細胞培養や耐塩性の研究をしていました。そのまま研究の世界に進むか、学校の先生になろうかと考えていたんです。同じ頃、所属していた横浜国立大学でベンチャービジネスラボラトリー(以下VBL)という大学発ベンチャーの育成支援をするところがあって、博士の研究をしながらビジネスを立ち上げる人に助成金が出たのです。僕は研究費だという認識でそのプログラムに申し込んだのですが、どうやら違うらしいとわかった(笑)。それでもひとまずやってみよう、と思ってそのプログラムに参加することにしたんです。

塚田 間違いがきっかけだったんですね(笑)。僕も最初からベンチャーに入ろう、とは思ってなかったんですよ。博士課程で研究していた同じラボの先輩が、たまたま今の代表(丸幸弘;リバネスの代表取締役CEO)だったんです。僕が考えていた「食糧問題の解決」というテーマが研究以外の場所でもできたら、その夢は早く実現できるのではないかと、まずはインターンシップ生として参加しました。明確に道が定まっていないときは、縁ができたものにまず飛び込んでみることで、拓けることもあります。

川名 そうですね。今は研究とも教育とも離れたところにいます。でも今は「地域活性」に携われて本当によかったと思います。自分の考える範囲での「やりたいこと」は狭い。イメージできてなくても動いた結果、本当のことが見えてくる場合もありますよね。

失敗を繰り返して、それがビジネスになっていく

塚田 最初は何をビジネスにしようとしたのですか?

川名 最初は自分の専門を活かして、細胞培養で自分がほしい植物をつくるキットをつくったり、その情報をデータベース化していったりするという案がありました。あまりうまくいきませんでしたが。

塚田 その頃リバネスに出会ったんですよね。

川名 はい。リバネスが学生向けに開いているキャリアイベントに参加したことがきっかけで、VBLのシンポジウムにもきてもらったりして、僕はリバネスでインターンシップをさせてもらうことにしました。 塚田 インターンシップをやってみて良かったことはありますか?

川名 子どもたちの前で話すことから、人材育成、教材開発、幅広く経験させてもらいました。自分は研究テーマを直球で活かすことしか考えられていなかったけど、たとえば、「研究者」「博士」という立場を活かして講演に呼んでもらえた。自分の武器は捨てました。新しいプロジェクトを立ち上げる経験もさせてもらったから、どうしたら継続できるか、誰にとってどんな価値になるのか、ビジネスのつくり方も学ばせてもらいました。

塚田 僕も新しいことにトライさせてもらって、いろいろ失敗した経験が一番よかったな。農家さんから採れたての野菜を消費者に届けよう、という野菜配達サービスを始めたことがあります。言うのは簡単だけど、たとえば配達のときに代金引換にはこちらで手続きが必要、ということを知らなくて、着払い伝票を送ってしまった。頭で考えることより実際やることの方がずっと大変、ということがわかりました。

川名 誰もまったくやったことのないものを1からやっていくのはとても地道で泥臭いことの積み重ねなんですよね。それを1つ1つ進んでいくことでできることが増える。それがその人の強みになるんです。

塚田 実験にも似ていると思うけど、それを研究以外でもたくさんできたことは、今の自分をつくっています。

新しい場所に博士が入っていく意味

塚田 僕は、新しい農業のかたちを模索する中で地域の活性に行き当たった。川名君が地域活性に本格的に取り組み始めたのは何がきっかけなのかな?

川名 リバネスで、室内で水耕栽培によって野菜を育てる「植物工場」をつくる事業を立ち上げたとき、これを沖縄でやったらどうか、という話が出たんです。沖縄は暑いので、夏場はレタスが1個400〜500円することもあった。沖縄は安くて空いた工場もたくさんあるので、植物工場を建ててつくったらどうかと。つくるのはいいけど、売れないと継続できないので、沖縄での販売を自分の立ち上げた会社で請け負うことにしたんです。

塚田 これも縁なんですね。

川名 沖縄にいる間は、植物工場以外にもチャレンジしました。沖縄の資源で商品開発をする講座をつくったり、自分でも商品をつくろうと思って紅茶畑で紅茶を栽培してみたり。都内でプロモーションをする場所をつくろう、と思って飲食店経営を始めたりしました。ほかの地域でも似たようなニーズがあって、地域活性がコアになっていきました。

塚田 これまで、博士が農家さんや自治体の人と組んで新しい仕掛けをつくることはなかったと思います。でも、僕は、何万とある地域資源の中で、その素材の特性を活かした商品をつくったり、新しい農業のかたちを模索したりするためには、科学的な知見をもった人が必要だと思うんです。今は博士がアカデミア以外でも活躍できる場所をつくろう、という声があるけど、我々がその道を切り開いていきたいですね。

川名 僕は「何でもやってみようかな」とがむしゃらに動いていった結果、1つの人生のテーマに巡りあった。僕は、誰かができるイメージが沸かないところに突っ込んでいくのが好きなので、今も、博士という肩書きにも、テーマにこだわりはないです。今自分ができることは「地域活性」だから、地方の人や一次産業に関わる人をサポートしていきたいですね。 (取材・構成 環野 真理子)

株式会社マイロプス https://mylops.jp/
株式会社リバネス 地域開発事業部 https://lne.st/ld/