カイコの繭を叩いてみれば、文明開化の音がする

カイコの繭を叩いてみれば、文明開化の音がする

 明治から昭和初期にかけて、日本の養蚕業は、絹糸の輸出による外資獲得の中核であり、世界市場直結による文明開化を押し進める原動力として近代日本の礎を築いてきた。しかし20世紀後半になると繭の生産量は減少の一途をたどり、世界第一を誇っていた繭生産国の地位を中国にゆずることになった。日本は、生糸の「輸出国」から「輸入国」へと変遷を遂げたのである。そのような蚕糸業を取り巻く厳しい情勢の中、21世紀に入って、従来の“絹糸生産”ではない新たな養蚕の活路を見出そうという動きが始まっている。

 2000年に、農業生物資源研究所らにより遺伝子組換えカイコが開発されたことを皮切りに、医薬品開発や有用タンパク質生産、食品、機能性素材探索などの様々な分野において研究開発が進められ、2014年には、ついに日本で初めて、隔離飼育区画での遺伝子組換えカイコの試験飼育が承認された(承認取得者:国立研究開発法人農業生物資源研究所)。いままさに、日本の養蚕業に変革が起きようとしている。

 本特集では、日本の長い養蚕業の歴史のなかで培われたノウハウと、先端の科学・技術が融合することによって、どのような文明開化が訪れるのか動向を探る。

なぜ今カイコなのか。高付加価値化 挑戦する

これまで日本の養蚕業は、絹糸を生産する蚕糸・絹業がメインであった。高品質な絹糸を大量に手に入れるため、繭の大型化、飼育の低コスト化、絹糸の生産性向上など、カイコの育種・飼育技術が蓄積されてきた。100年以上の歴史をもつカイコ研究の中で、近代の化学・技術の発展は、絹糸の生産者であったカイコを多様な価値をもつ生物資源へと変貌させた。

研究開発の動向

 注目される主な研究開発テーマは、絹糸の高付加価値化、絹糸の成分であるセリシン・フィブロインの用途拡大、有用タンパク質の生産、産業廃棄物となる蛹の利活用に大別されるであろう。応用分野としては、衣料に限らず、バイオ・ヘルスケア、医療・医薬品、食品・飼料、素材・材料、デバイスと多岐にわたる。日本において、研究成果をもとに事業を展開する企業は目立ったところで数十社、カイコビジネスをきっかけに新設されたベンチャーもみられる。産業を築くという意味では、まだ事例は少ない。一方、アカデミアでの研究開発は全国の大学・研究期間で実施されており、その中心的存在となっているのが国立研究開発法人農業生物資源研究所だ。前述のように、遺伝子組換えカイコ飼育の先行事例ともなり、古くからカイコ研究の拠点として様々な取組みに挑戦している。

カイコに関する主な研究開発テーマ(一部抜粋)

カイコに関する主な研究開発テーマ(一部抜粋)

絹を構成するタンパク質の用途拡大

 繭から絹糸を精練する際、廃棄物となる接着分子のセリシンは元来高純度のタンパク質である。セリシンには、シミの原因となるチロシンの生成阻害や皮膚のターンオーバーを促進する効果、紫外線によるシワの抑制効果などが報告されており、セリシン自体の機能性を化粧品に応用する事例が増えている。面白いところでは、細胞培養分野において、培地に添加するウシ血清の代替になる程度の細胞増殖促進効果が認められ、細胞培養試薬としてバイオメーカーから販売されている。さらに、絹糸の7割を占める繊維タンパク質であるフィブロインは、医療用材料として有力視されており、人工血管、再生医療の足場材、角膜移植などの用途に応じて、フィルム、スポンジ、不織布、チューブといった様々な形状に加工されている。実用化に至っているものは少なく、医療現場という大きな壁があるものの、アメリカでも注目を集める分野だ。

ここまできた、カイコの技術開発

 遺伝子組換えが可能になったことは、養蚕業において大きな意味をもたらす。すでにいくつもの付加価値をカイコに与えている。その一つが絹糸だ。GFPを発現する「光る糸」をはじめ、強靭な「クモの糸」の性能をもった絹糸が作られている。さらなる研究開発により導電性や磁性などの機能性を付加できれば、衣類がウェアラブルデバイスになるなど、繊維業界に革新をもたらすかもしれない。さらに、特筆すべきは生物工場としてのカイコだ。遺伝子組換え技術によりセリシン内に目的タンパク質を分泌させ、高純度に目的タンパク質を回収する技術や、ウイルスを使ってカイコの幼虫・蛹の体内でタンパク質を作らせる技術が開発されている。動物培養細胞を使う方法よりも生産コストが低く、タンパク質のフォールディングが正確であるため、診断薬用抗体や化粧品用材料、医薬品(ワクチン、抗体)への応用が期待される。また、遺伝子改変技術の進歩により、ヒトの病態モデルとなるカイコが開発され、医薬品候補物質のスクリーニングなどに用いられる事例も登場している。

 文明開化における産業振興のみならず遺伝学の発展にも寄与してきたカイコ。動物の中でいち早くメンデルの法則が確認されており、2004年には全ゲノムがほぼ解読された。品種改良の必要性から遺伝学的な研究が盛んに進められ、ついに遺伝子組換えカイコが産業利用されるところまでやってきた。蓄積された分子生物学的なノウハウと日本が得意とする育種・飼育技術が相まって、いま、養蚕業が再び花開こうとしている。繊維業界から飛び出したカイコが、既存の概念を覆し、新しい産業を築く礎となることを期待する。(文/戸金悠)