『教育応援VOL. 18』[ サイエンストピックス ]100年にわたり、 DNA研究を牽引する ショウジョウバエ ~遺伝子研究の先端技術とは~
今年は2013年、トーマス・モーガンがショウジョウバエの交配実験から遺伝子が染色体上にあることを明らかにしたことでノーベル賞を受賞してから80年目、またワトソンとクリックによってDNAの二重らせんモデルが提唱されてから60年目にあたる年です。タンパク質の立体構造に比べ、はるかに単純な構造のDNAが遺伝物質としての機能を担っている、今では誰も疑わないこの事実に、当時の研究者たちは驚きました。その後、DNAの構造や分子機能についてより細かな解析が可能になり、いまや人工的に遺伝子を操作することすら可能になりました。今回のサイエンストピックスでは、遺伝子研究において100年以上の歴史を持ち、現在も牽引しているショウジョウバエの「今」について紹介します。
ショウジョウバエを調べ、ヒトについて理解する
ショウジョウバエといえば、管理がしやすく、赤眼や白眼、曲翅や直翅といった明確な表現型を示すため遺伝のモデルとして昔からよく使われてきました。また、近年はHox遺伝子群のような、胚発生で働く遺伝子の研究材料として使われています。Hox遺伝子群は頭尾軸に沿って働き、複数のHox遺伝子産物の濃度勾配によって、体に位置情報を与え、胚発生時の形態形成に重要な役割を持つことが明らかになっています。このHox遺伝子がヒトを含めた脊椎動物でも高度に保存されていることがわかり、昆虫と脊椎動物という進化の上で遠い関係にある生物の間で、共通の体づくりの仕組みがあることがわかったのです。この事実は、長く研究されていたショウジョウバエが、ヒトのモデルとして研究材料となることを示しています。ヒトにとって解決が望まれるガンやアルツハイマー病などの難治性疾患や、左右の非対称性や体内時計などの生命現象について、ショウジョウバエの遺伝子を調べることによって研究が進められています。
生存に重要な遺伝子ほど研究は難しい
遺伝子研究におけるジレンマとして、生存に関わる重要な遺伝子ほど、研究が難しいという点があります。通常、遺伝子の機能を調べるとき、目的の遺伝子を壊したり、機能を抑制したりすることで、その影響を観察します。しかし、Hox遺伝子を含め、初期発生に関わる遺伝子に異常が起こると、生まれてくる個体が極めて少なくなり、研究することが難しくなります。そしてこのような遺伝子異常の多くは劣性致死突然変異です。研究のためには突然変異を持つ系統を確立する必要がありますが、劣性致死のため、突然変異遺伝子を維持するためにはヘテロ個体として継代する必要があります。しかし、ヘテロ個体同士を交雑すると、生まれた子には正常個体とヘテロ個体が混在することになり、さらに遺伝子頻度としては次第に減少していくことになってしまいます(表1)。それを防ぐためには子世代からヘテロ個体を選別する必要がありますが、それには莫大な手間とコストがかかってしまいます。研究を促進するためには、この課題をクリアすることが望まれます。
致死遺伝子すらも維持できるバランサー染色体
では、なぜショウジョウバエではHox遺伝子のような初期発生に関わる遺伝子がこれほど解明されているのでしょうか。このような遺伝子の研究を可能にしているのが、ショウジョウバエで独自に開発された人工染色体の「バランサー染色体」です。相同染色体としてバランサー染色体を持つ場合、突然変異遺伝子を次世代にそのまま継代できます。バランサー染色体を用いることで、上述のような発生・生存に重要な突然変異遺伝子も維持することができるため、初期発生に関わる遺伝子の研究がショウジョウバエで進んできました。
バランサー染色体は、突然変異遺伝子を維持するために重要な2つの特徴を持っています。それは「相同染色体との組換えが起こらない」「バランサー染色体をホモで持つ個体は致死となる」という点です。研究のために突然変異遺伝子を維持するためには、突然変異遺伝子が乗った染色体との間で組換えを防ぎ、次世代に確実に引き継ぐことが大切です。バランサー染色体は相同染色体との乗り換えが起こったとき、その染色体を持った個体が誕生しないように工夫されています。これにより、突然変異遺伝子を持った染色体は変化することなく、そのまま次世代に継代されます。また、バランサー染色体には劣性致死遺伝子が乗っています。よってバランサー染色体をホモで持つ個体は生まれてきません(表2)。このことにより、目的の突然変異遺伝子は個体群の中で頻度が下がることなく、ヘテロ個体として維持することができます。このようなバランサー染色体技術があることで、他の生物では研究することが難解な遺伝子について、ショウジョウバエで研究することが可能となっています。
積み重ねることで起こる、研究手法のイノベーション
このバランサー染色体が開発されたのは、実は40年も前になります。ショウジョウバエでの遺伝子研究に欠かせない技術として確立していますが、なぜ、このような画期的な研究手法がほかの生物では使われていないのでしょうか。それは、染色体数がショウジョウバエでは4組8本と少ないということや、高度な遺伝子操作技術がショウジョウバエでは確立しているということが挙げられます。
現在では、バランサー染色体にとどまらず、遺伝子研究のための様々な手法が開発されています。好きな遺伝子を好きな部位や細胞で強制的に働かせる、あるいは抑制する技術、また、遺伝子が正常な場合と異常な場合を同一個体の同じ組織中で簡単に見比べる技術もショウジョウバエでは確立されています。100年前の発見が、遺伝のモデルとして教科書に現れるショウジョウバエですが、現在でも世界の遺伝子研究を牽引しています。あなたの体の中の不思議を解明してくれるのはショウジョウバエなのかもしれません。
関連情報:Hochman B., 1971 Analysis of chromosome 4 in Drosophila melanogaster. II. Ethyl methanesulfonate induced lethals. Genetics. 1971 Feb;67(2):235-52.