スマート農業における農学研究への期待
これまでは、スマート農業の実現が求められる背景や、それが実現することで生産現場がどのように変化するのかを、キーマンへのインタビューや企業、大学での取り組み例から迫ってきた。しかし、スマート農業によって変わるのは生産現場だけではない。農学研究のありかたや研究手法も現場に合わせて変化することが求められるはずだ。本稿ではそうした動きを考察してみたい。
生産現場から遠ざかっていく農学
農学が実学と言われるのは、研究成果や技術が生産者や生産現場に還元されてきたからである。しかし現在は、実学とは言いつつ農学が生産現場から乖離しつつあるのではないかという指摘が存在する。もともと農学は、作物生産学や植物生理学、土壌環境科学、農業工学など様々な学問分野の集合体だ。しかし、それぞれの研究が高度化、細分化し分野間の連携が取りにくくなったことで、生産現場で活用できるまでに研究が到達しにくいのだ。また、生産現場に近い研究課題でも、実験室のレベルや学内圃場での実証研究にとどまってことが多いことや、研究成果を生産者にわかりやすく伝える仕組みがないことも、農学を実学から遠ざけている要因ではないだろうか。
スマート農業の実現で、農学が実学へと回帰する
スマート農業の特徴である農業ICT を活用することによって、そうした要因のいくつかを解決に導くことができるはずだ。例えば、研究成果を農業ICT のシステムの中に組み込むことができれば、生産者の協力を得たうえで、研究成果の実証を精度高く、多くの生産現場で行うことができる。もちろん実験区が多くなればサンプリングの手間も増えるだろうが、スマート農業のもう1つの特徴でもあるロボット技術があれば、通常の監視や採取を行うロボットに自動測定を追加することでサンプリングの負担を軽減できると考えられる。つまりスマート農業が導入されることで、より多くの研究成果をたくさんの生産現場で実証することができ、結果的に、より現場で活用しやすい手法へとブラッシュアップすることができるのだ。
分野同士の連携が実学を進める
前述のような実証試験の進展以外においても、スマート農業の実現は、農学を生産現場と近づけることができる。農業ICTが導入された生産現場では、農場の気温、湿度、日射、土壌環境など多面的な情報を得ることができる。それを自分の研究分野に留めず、例えば栽培研究の実証試験で得られたデータを、土壌や植物病理などの専門家と共有して分析することで、生産者へよりよい栽培体系を提案することができるだろう。連携が進めば、生産者と研究者の距離は近くなると考えられる。さらに生産から加工/流通までを扱う農業ICTも登場しており、生産現場に限らず、種苗開発や流通先など、生産の前後の情報を取得することも可能だ。そうしたデータを活用することで、例えば、育種研究において、開発した複数の栽培品種のなかから、加工業者や消費者の評価をトレースしたり、栽培のしやすさなど生産現場からのニーズをフィードバックしたりすることで、将来的な種苗の選抜への参考とすることができるのだ。
スマート農業が生産現場と食をつなげる
今までみてきたように、農学を生産現場へ回帰させる可能性を秘めるスマート農業であるが、生産現場を消費者や食の現場とつなげる役割も期待されている。そのような実例の1つとして、和歌山県のみかん農園では樹木5,000 本にID タグを取り付け、センサーなどでデータを収集し、そのデータをもとに糖度の高いみかんをつくるシステムを構築している。収穫される全みかんの内、ブランド化できるレベルの糖度に達したみかんの比率を24% から53% に向上させることに成功している。その他にも、滋賀県や愛媛県などの農産物直売所ではPOS レジシステム、トレーサビリティシステムを導入し、収穫・出荷等農作業の計画・効率化が図られている。このように農業ICT は生産から加工、流通、最終的に消費者の情報までトレースすることができれば、バリューチェーンの構築につながるのだ 。
知識産業として農学を輸出する
これまで見てきたようにスマート農業の実現により、農学研究は今まで以上に生産現場へと成果を還元できるようになるとともに、研究者自身の視野や研究フィールドも拡大するのではないだろうか。将来的には、スマート農業はノウハウのデータ化・知財化により農業を知識産業化させ、きめ細やかな日本の農業ノウハウの輸出などにも期待されている。そこには日本の農学の海外への展開という新たな領域が広がっているだろう。