〔リバネスセンシズ〕アジアにリバネスを広げる先駈け(後編)

〔リバネスセンシズ〕アジアにリバネスを広げる先駈け(後編)

リバネスセンシズでは、リバネスメンバーのインタビューを通して、そのパッションを紐解き、実現しようとする個々の未来像をお伝えします。

徳江 紀穂子(とくえ きほこ)
博士(理学)

専門分野:行動生態学

(聴き手:佐野 卓郎)

→前編はこちら

佐野:リバネスに入社して最初にやった仕事はどのようなものでしたか?

徳江:シンガポールの子供たちを相手に、ザリガニロボットをつくる教室を実施しました。あとは日本の食材をシンガポールで紹介するというプロジェクトもやっていました。

佐野:シンガポールでの取り組みが多かったんですね。

徳江:国内でも、ペットボトルで風力発電機をつくって、再生エネルギーについて考えるような実験教室をやりましたね。最初の頃は次世代教育のプロジェクトを多くやっていました。もともと、教育とか人材育成とかに興味がありましたから。ただ、リバネスには教育開発事業部と人材開発事業部がありますよね。どちらに入ればよいか悩みました。結局、磯貝さんに相談して人材開発事業部に配属してもらいました。

佐野:でも結局、次世代教育も色々とやっていましたよね?

徳江:「フィールド研究者の活躍する場をつくりたい」「海外での経験を研修にしたい」といった想いから、人材開発事業部に行けば役に立てると考えたのですが、シンガポールに日本で開発した教育プログラムを持っていきたいという想いも同時にあったので、次世代教育もやらせてもらいました。

佐野:欲張りですね。

徳江:シンガポールのザリガニロボットの企画では、海外ですからね。スタッフも少ない中で、入社間もない私が、リバネスのことをあまり知らないままにリバネスを語り、専門ではないロボットについて話すわけです。もちろん、事前に勉強はしましたけどね。とにかく現場で経験を積みながら学んできました。

佐野:リバネスシンガポールのPresidentになって、単身移住して一人でオフィスにいることになりましたよね。意外と寂しがり屋だと聞きましたが、大丈夫でしたか?

徳江:他の人よりは、一人でいることに耐性があると思いますよ。研究もジャングルでやっていたくらいだし。自分を奮い立たせることができるか、どうやったら乗り越えられるのか、目的を達成できるか、ということを考えていました。
一人暮らしを始める時と同じだと思いますが、最初は楽しみでワクワクするんです。でも、3ヶ月くらいすると現実が押し寄せてくる。仲間と、近くにいたらできていたコミュニケーションが、距離があるととても難しいんです。第三者やテクノロジーなどを介してコミュニケーションをすると、見えない壁みたいなものがありますよね。くだらない話も距離があるとあまりしなくなりますし。

佐野:シンガポールで仕事をするのは大変ですか?

徳江:「大変」と言われると、ちょっと言葉が違うような気がします。他の一般的な会社であれば、私の経験とスキルでは、決して単身シンガポールに送り込むような決断はないでしょう。「何かやってくれそうな気がする。そこに掛けてみよう」と言ってチャンスをもらい、自由にやらせてもらっています。もちろん、プレッシャーもありますが、やりがいがあるんです。

佐野:シンガポールに来て一番良かった点はなんでしょうか?

徳江:シンガポールに一人で来て、仲間を見つけていくわけです。そこで集まる仲間は、リバネスのためのものですが、一方で、自分の仲間でもあり、自分の財産でもあります。
何年か経って、社外にも仲間ができてきました。日本から秋永さんが仲間に加わってくれました。こうして、リバネス設立当初のメンバーが経験してきたことを、経験できていることがとても嬉しいですし、それがあるから続けられるんだとも思っています。

佐野:今後はどのようなことを仕掛けていきたいですか?

徳江:私はリバネスが10歳になるとき入社しました。リバネスシンガポールももう8歳になります。リバネスシンガポールが10歳になるときには、もっと仲間を増やし、海外展開の基盤をつくりあげたいと思っています。私はPresidentですから、シンガポールでもっとたくさんの仲間を集め、その仲間がまたさらに仲間を集められるような環境をつくらないといけません。そして次なるPresidentも育てていかないと。
それからですね。東南アジアには、実はあまりノーベル受賞者がいないんです。お金や経済も重要ですが、「おもしろい!」から研究を始めて、熱を燃やせるような世界、そういう人が活躍できるできる世界をつくっていきたいなと思います。そして、東南アジアにノーベルをとれるような研究者を育む土壌をつくれればと考えています。