チンパンジーだって立派な宇宙飛行士!!

1961年1月31日、一匹のチンパンジーが宇宙へと飛び立ちました。ハム(Ham)と名付けられたこのチンパンジーは、機器操作などの厳しい訓練を受けた後、宇宙へと飛び立ち、無事にその任務を終えて帰還しました。わずか16分39秒という短い飛行ではありましたが、後の有人宇宙飛行に大きな成果を残す歴史的なできごとといえます。今日のトピックでは、宇宙飛行に必要な訓練さえもこなすことのできるチンパンジーの意外な実力に迫っていきます。


チンパンジーを知ることはヒトを知ること?!

「ヒトの98%はチンパンジーと同じである」。こんなフレーズを見たり、聞いたりしたことのある人も多いのではないでしょうか?ヒトとチンパンジーは、生き物の設計図として知られるDNAの塩基配列の解読がすべて完了しています。その結果、約30億の塩基配列の中で、両者には約1.23%の違いしかないことがわかったのです!冒頭の言葉はDNAという点で両者は似たもの同士の生き物だと明らかになったことを指しています。この他にも、ヒトとチンパンジーで似ている点は多く知られています。例えば、道具の使用・制作・運搬・所有をするのはヒトとチンパンジーに共通の特徴です。また、野生のチンパンジーは、集団で行なう組織だった狩猟と食物の分配を行い、さらにはコミュニティー間で殺しあうなど、ヒトと同じように社会を形成する生き物です。ヒトに見られる明るい面や暗い面について、生物学的な側面だけでなく社会学的な側面に至るまで、チンパンジーはヒトによく似ている生き物だといえるのです。
このようにヒトとチンパンジーは似たもの同士であるために、チンパンジーという生き物を研究することは、ヒトという生き物の理解にもつながる可能性が大きく、ヒトを理解することを目的とした研究でもチンパンジーが主役となる研究もあります。今日は、そんなチンパンジーが主役の研究の中でも、「記憶」に関わる興味深い研究について紹介していきます。

チンパンジーの学習能力

宇宙飛行を経験したチンパンジーのハムは、実際に宇宙に飛び立つ前までに、宇宙飛行に必要な機器操作等の多くの「訓練」を受けたと報告されています。訓練をこなせたということは、チンパンジーも「学習」できるということですが、いったい、どのくらいの学習能力があるのでしょうか?ここでチンパンジーの学習に関わる一つの実験を見てみましょう。
チンパンジーの前にはタッチパネル付きのコンピュータが置かれています。モニター上には白い丸があらわれ、この白い丸に触れると画面上で問題が出題されるようになり、正解するとチャイムが鳴ると同時にご褒美の食べ物が出てくるしくみになっています。まず第1段階として、モニター画面の白い丸に触れると、画面には数字の1のみが出てきて、その数字の1に触れれば正解となる簡単のものから始めます。次の段階では、1と2の2個の数字が画面内のデタラメな場所にあらわれるようになり、数字の小さい順に(つまり1、2の順)に触れていくと正解となり、ご褒美のリンゴがもらえます。この課題をクリアできるようになると、今度は1,2,3の3個の数字、これができたら次は4個、5個、6個と徐々に増やしていき、最終的に1~9までの10個の数字の順序を学習していきます。
最初は1と2の2個の数字だけでも区別ができずにいら立つ様子が見られたチンパンジーも、10日ほど経つとすんなりと区別できるようなっていました。そして半年後には1~9までの10個の数字を躊躇なく順番通りに数字に触れていき、確実にご褒美を手に入れるまでになったのです。それどころか、さらに半年後には、画面上にあらわれる一番小さな数字に触れた瞬間に他の数字が白い四角で隠されるようにしてしまっても(下図参照)、隠れる前までの記憶を頼りに、スムーズに数字の順番通りに正解していくほどの成長ぶりです。

人間の大人も顔負けの記憶力

このように、1~9個の数字の順序について学習したチンパンジーについて、これから紹介する「時間制限実験」を行なうと、チンパンジーの記憶力に関わる興味深い結果が出てきます。
使う数字は1~9個の数字と変わらないのですが、この実験では、最初に数百ミリ秒(1ミリ秒=1秒の千分の一)というごく短い時間だけ数字が表示され、すぐに白い四角で隠されてしまいます。被験者はその一瞬の間に数字の位置を記憶して、数字の小さい順にタッチしなければなりません(下図参照)。さらに今回の実験では、こどものチンパンジーと大学生(ヒト)の結果も比較しています。

その結果、数字が表示される時間を650ミリ秒、430ミリ秒、210ミリ秒と短くしていくと、ヒトの場合には約80%から約40%までに正答率が大きく下がるのに対して、なんと、こどものチンパンジーでは、表示時間が短くなっても約80%の正答率を維持しており、一番成績が良かったチンパンジーには、ヒトの誰もがかないませんでした。 このような瞬間的な記憶力がチンパンジーで優れている理由としては、周囲にライバルがたくさんいる環境で生きるチンパンジーが、瞬間的に餌となる木の実を見つけたり、敵と遭遇したときに瞬間的にその位置を特定したりする場面で、生存競争に有利に働くからではないかと考えられます。 このような、瞬間的に細部まで正確に記憶する現象は、ヒトでも稀に見ることができ、「直観像記憶(フォトグラフィック・メモリー)」という言葉で知られています。記憶を司る脳は、他の自然科学の対象と比べて、研究が進んだ今日でも未知の部分がたくさんあります。もしかしたらチンパンジーの脳が持つ力を調べていくことで、ヒトの脳にある知られざる潜在能力が見つかるかもしれませんね。
宇宙飛行に成功したハムも、ちょうど今日のトピックで被験者となったチンパンジーと同いくらいの年齢でした。直観像記憶に優れたチンパンジーであるハムが見た宇宙の景色は、どのようななものだったのでしょう?想像するだけでワクワクしてきます!!
【参考文献】

“Working memory of numerals in chimpanzees”
Current Biology vol 17 No 23 R1004-1005 (2007) Sana Inoue and Tetsuro Matsuzawa
チンパンジーから見た世界(2008)
松沢哲朗 東京大学出版会
チンパンジーの認知と行動の発達(2003)
友永雅己、田中正之、松沢哲朗 京都大学学術出版会
京都大学霊長類研究所 ビデオ図書:実験風景
“Human and animal cognition: Continuity and discontinuity”
PNAS vol 104 No 35 pp13861-13867 (2007) David Premack

(文責:臼杵裕之)