カイコ宇宙にいく

カイコ宇宙にいく
1989年の冷戦の終了により、アメリカとソ連による国の威信をかけた宇宙開発競争も大きく様相を変えることとなりました。アメリカとロシアが協力して一つの宇宙ステーションを作ろうという「シャトル・ミールミッション」が発足したのです。
そして1997年5月15日、シャトル・ミールミッション6号機に乗って7名のロシア人、アメリカ人に加えてカイコの卵が宇宙に飛び出しました。

切っても切れないカイコと人間との関わり

「カイコ」といえば「絹(シルク)」。「シルク」といえば「シルクロード」と連想するように、カイコは太古の昔から絹を生み出す生物として人に飼育されてきました。なんと日本に現存する最古の書物である「日本書紀」や「古事記」にもカイコに関する記述が残されているのです。あまりにも人間に守られて飼育された期間が長かったため、枝に登る足は退化し、昆虫ではよく見られる保護色ではなく、非常に目立つ白色をしています。そのためカイコを野外の木にとまらせると、ほぼ一日のうちに鳥などに食べられるか、風に吹かれて地面に落ち全滅してしまいます。かわいそうなことにカイコは人による手助けなしには生きることができないのです。
そんな人間と深く長い関わりを持つカイコは、現代においても絹糸の生産生物として重宝されています。しかし、カイコの利用法はそれだけにとどまらず、最近ではタンパク質医薬品の製造にも関わっています。

口から医薬品を吐き出すカイコ?!

糖尿病患者に処方される「インスリン製剤」や、ガン細胞を標的とした「抗体医薬品」というものをきいたことがありませんか?これらをタンパク質医薬品といいます。体の中に実際に存在するタンパク質を医薬品の原料とすることから、体内での働きや副作用が予想しやすいといったメリットがタンパク質医薬品にはあります。しかし、メリットがあればもちろんデメリットもあります。純粋なタンパク質を大量に作り、精製することは非常に難しいのです。
この困難を解決する糸口となったのがカイコなのです。カイコは、サナギになるために1匹あたり1500mほど、重さにして数100ミリグラムもの、タンパク質100%の絹糸を吐き出します。数100ミリグラムと聞くと非常に少なく聞こえるかもしれませんが、医薬品としては意味合いが変わってきます。一般的な薬の主原料は、一粒あたり数ミリグラム〜数100ミリグラムしか含まれないからです。「絹糸と一緒に医薬品の主原料を吐き出すカイコを作ることができれば、タンパク質医薬品を大量に作ることができるし、精製も簡単なのではないか!」そう考えたのです。
しかしどういう技術を使えばタンパク質医薬品の主原料を産生するカイコなんてものを作れるのでしょうか。

「タンパク質製造工場」としてのカイコ

最近よくニュースで「遺伝子組換え食品」という単語が出てきますね。これは干ばつや害虫に強い「タンパク質」を持つように「遺伝子」を組み込まれた作物のことです。「タンパク質」を作らせるためにはその設計図である「遺伝子」を導入する必要があるのですね。この「遺伝子組換え法」はカイコにも応用することができます。カイコにタンパク質医薬品の遺伝子を導入することで、カイコに目的のタンパク質を作らせることができるのです。
しかし、ただタンパク質医薬品の遺伝子を組み込むだけでは、タンパク質はカイコの体の中に溜まるだけです。どうすれば、カイコは目的のタンパク質を絹糸とともに外に吐き出してくれるのでしょうか。
絹糸は主にフィブロインというタンパク質から作られています。このフィブロインの遺伝子をよくよく調べてみると、この遺伝子の頭には「さなぎになる直前の絹糸を作る時期になると、このタンパク質を作り始めなさい」という命令(プロモーター)が、お尻には「絹糸が溜められる場所(絹糸腺)にこのタンパク質を溜め込みなさい」という命令(シグナル配列)が書かれている事が分かりました。どうやらこの2つの命令が絹糸を吐き出す作用に大きな役割を果たしていそうです。
このことから研究者たちは、目的のタンパク質医薬品遺伝子の頭とお尻にそれぞれ、フィブロインに書かれている命令を付け加えて組み込んでみました。こうすることで、目的のタンパク質医薬品はフィブロインと同じ時期に作られ、フィブロインとともに絹糸腺に溜まり、絹糸に混ざって体外に吐き出されるのではないか、と考えたのです。その結果、この遺伝子導入カイコは通常のカイコと同様に絹糸を吐き出し、さらに研究者の思惑通りその絹糸の中にはタンパク質医薬品原料が含まれていたのです!
この遺伝子導入カイコのメリットは、絹糸から簡単に目的のタンパク質を精製できる、というものに加えてもう一つあります。一度、カイコに目的のタンパク質医薬品遺伝子を組み込めれば、そのカイコの子供は生まれながらにして親と同じタンパク質医薬品遺伝子を持つこととなるのです。つまり毎回カイコに遺伝子を導入する必要がなく、カイコに子どもを産ませるだけでどんどんタンパク質医薬品を増産することができるというわけです。
「遺伝子導入」という最先端の分子生物学的手法と、「タンパク質を大量に作る」「産生したタンパク質を体の外に吐き出す」というカイコの特長との共同作業により、非常に低コストで大量のタンパク質医薬品を生産できるようになったのです。

これからも続くカイコと人間との共存共栄

実際、遺伝子組換えカイコが作っているタンパク質医薬品に、インターフェロン(IFN)製剤と呼ばれるものがあります。IFNとは、ウイルスやガン細胞の抑制、免疫系の調節など多様な働きをもつタンパク質で、カイコが作ったIFN製剤は、ネコを対象としたネコ風邪治療薬、イヌを対象としたイヌ型アトピー性皮膚炎治療薬として実際に市販されています。またヒトに対しては、すでにある種のガンや肝炎の患者に対してIFN製剤が処方されていますが、残念ながらカイコが作り出したヒトに対するIFN製剤は、まだ認可が下りていません。そのためヒトでの臨床例はありませんが、難病を抱えた多くの患者さんの命を助ける日もそう遠くは無いでしょう。
微小重力と宇宙放射線の影響を調べるために宇宙に行ったカイコの卵は、地球に帰ってきた後無事孵化し、今では全国の研究所や学校で「宇宙カイコ」と呼ばれながらすくすくと育っています。絹の産生だけではなく医薬品の製造や宇宙研究と、日常生活から最先端研究までありとあらゆる分野に密接に関与しているカイコ。しかし太古の昔から人間にとことん利用され、もはや人間がいなければ生存できない生態となり、挙句の果てに「タンパク質の製造工場」とまで呼ばれるようになってしまったカイコのことを考えると少し複雑な気持ちになってしまいますね。
【参考文献】

宇宙へいったかいこ : 国際宇宙ステーション計画
https://ci.nii.ac.jp/naid/110000534234/
カイコを用いたタンパク質医薬品製造
https://www.jstage.jst.go.jp/article/fiber/63/9/63_9_P_266/_article/-char/ja/

(文責:宮内 諭)