宇宙に挑戦した最強の生物クマムシ

宇宙に挑戦した最強の生物クマムシ

2007年9月、欧州宇宙機関の宇宙実験衛星「Foton-M3」によりクマムシが宇宙に打ち上げられました。そして、軌道に達した後、クマムシは紫外線を防ぐ特殊なケースに入れられ宇宙空間にさらされました。クマムシは10日間もの間、極度の温度変化を伴う真空状態に置かれることとなったのです。しかし地球上で数々の偉業を打ち立ててきたクマムシは宇宙空間でもみごとに生存できました!これは動物としては初めての、まさに偉業でした。

どこにでもいる最強の生物

クマムシとはどんな動物でしょう?知らない人も多いと思います。ムシと名がつくことから昆虫と誤解されがちですが、昆虫ではなく正確には「緩歩(かんぽ)動物」と呼ばれる生き物です。体長は大きいものでも1mm程度しかなく、4対の足でクマのように「緩やかに歩む」ところから、クマムシ、そして緩歩動物と呼ばれるようになりました。クマムシは小さすぎて、我々が普段目にすることはありませんが、実は身の回りにある、コケの中とか、湿ったところを好んで生息しています。クマムシの仲間には地上表面だけではなく、池や海に住んでいる種もいます。さらに言えば、ヒマラヤ山脈や南極大陸にも生息するクマムシもいるそうです。クマムシは地球上のどこにでもいる生き物なのですね。

そしてこのクマムシ、とてつもなくすごい能力をもっています。その能力から「最強の生物」と呼ばれたりもするくらいです。例えば、クマムシは150℃という高温や、‐200℃という低温につけられても生き延びます。また、ヒトの致死量の1000倍以上のX線を照射されても、6000気圧もの高圧をかけられても生き延びてしまうのです。誤解がないように言っておきますが、普段から最強なわけではありません。「乾眠(かんみん)」という能力により、最強の生物になるのです。乾いて眠るという言葉の通り、乾眠状態ではクマムシの体内水分量は通常の85%から3%まで低下し(乾いて)、体内の代謝活動が止まった状態となります(眠る)。宇宙にもっていかれたクマムシもこの乾眠状態のものでした。

乾燥に耐える生存戦略

どうしてクマムシは乾眠状態になる必要があるのでしょうか?それは乾燥に耐えるためです。陸上のクマムシが好んで住む場所にコケの中がありますが、そこは常に乾燥する可能性がある場所です。そして乾燥は生物にとって非常に危険な状況なのです。水がない状況では生物は生きていけません。我々ヒトに置き換えて考えてみましょう。ヒトの体は実に60%程度が水でできています。そして一日に飲料水や食物から2500mlもの水を体内に取り入れ、尿や汗、呼気から摂取した分だけ外に出しています。水は電解質、タンパク質などの様々な物質を溶かすことができる優れた溶媒で、体内で起こるほとんどの化学反応は水があるからこそ可能となります。また、水は発汗作用により体温調節にも一役かっていますし、尿のことを考えれば、老廃物の排出にも欠かすことのできないものと分かります。ヒトは食べ物がなくても数週間は生きていけますが、水がないと数日のうちに死に至るとされています。

体の80%以上が水でできているクマムシにとっても水は大切なものです。コケの中に住むクマムシは適度に水分がある環境で快適に暮らしています。しかし、もしコケが乾燥してしまったら、クマムシはどうすれば良いでしょう?ヒトと違ってクマムシは圧倒的に小さいため、まわりの環境が乾燥し始めたからといって、水がある場所へと移動することなどできません。そこで、クマムシは乾眠という能力を身につけたのです。乾燥にさらされそうになったら、すばやく乾眠状態に入ります。そして、まわりがまた湿っぽくなるまでじっと何もせず、耐え忍ぶのです。乾眠状態は乾燥した環境に置かれたクマムシが生き延びるためにとる生存戦略だと言えます。

進まなかった研究

クマムシが乾眠状態をとることが初めて報告されたのは1776年のことであり、現在までに既に250年近くが経過しています。どうしてそんな高い能力をもつことができるのか、誰もが興味をそそられるところですが、そのすごさの秘密(メカニズム)は意外なほどに解明されていません。どうしてクマムシの研究は進んでこなかったのでしょうか?

クマムシ研究進展上の大きな障害のひとつに「小さすぎること」が挙げられます。ある秘密(メカニズム)を解明するために、そこにどのような物質が関与しているのか調べようとすると、まずは均一なサンプルを集め、中に含まれる物質を見つける作業を行います。この際、1つ1つのサンプル自体が小さければ、当然含まれる物質もそれだけ微量になるため、数を増やして補うしかありません。例えば、クマムシの乾眠状態にはトレハロースという糖が関与していることが明らかとなっていますが、このことを証明するだけのために、3600匹ものクマムシが使われているのです。クマムシを一匹、また一匹と集める作業は、想像を絶するほどの困難が伴ったことでしょう。また、クマムシ研究では、資金的な援助が得られにくかったことも、追い討ちをかけるように障害になったと考えられます。がんやエイズのように「研究をやる意味」がとても大きい場合、研究の進展によって多くの人々が恩恵を受けることができるため、国や企業は莫大な資金を研究へつぎ込みます。クマムシ研究はこの「研究をやる意味」の点で不利であり、結果として資金が集まりにくかったのです。

今後に乞うご期待!

しかし、宇宙で生存した初めての動物となったことでクマムシ研究を取り巻く状況には変化が生じつつあります。宇宙での生存を報告する記事は権威ある科学誌Scienceにも掲載され、世界中の研究者の注目を集めることとなりました。また、資金援助をする側の見方も変わってきており、例えば、日本でも文部科学省の研究費により東京大学のグループを中心としてクマムシの「ゲノムプロジェクト」がスタートするようです。今後は、これまでよりも格段に速いペースでクマムシの研究も進んでいくに違いありません。そしてクマムシの強さの理由を明らかにすることで、将来的にその研究成果の応用も期待されています。例えば、乾燥状態を防ぐ機構が解明されれば、臓器の常温長期保存法の開発につながることが指摘されています。移植医療に使用される臓器は凍結保存されていることが多いのですが、この保存法では凍結・解凍の際に臓器にダメージを与えてしまい、移植後に問題が生じる可能性があります。常温長期保存法が開発されれば、こうした移植後の問題が解決されるかもしれません。もちろん、例え目に見える成果に結びつかなくても、我々の知的好奇心を存分にくすぐってくれるクマムシの研究は意義深いことかもしれませんね。

注目されつつある、クマムシ。けれども、当のクマムシたちはそんな注目など知るよしもなく、今日もいつもと同じように、乾眠状態をとったり、また乾眠状態から戻ったりを続けていることでしょう。

【参考文献】

『クマムシ?!―小さな怪物』
鈴木 忠 著  岩波書店 
國枝武和 (2006)『動物の乾燥耐性を支える分子基盤を探る』
化学と生物 44(11), 732-734.
『クマムシを飼うには―博物学から始めるクマムシ研究』
鈴木忠 森山和道 著 地人書館
『トートラ 人体の構造と機能 第2版』
大野忠雄 黒澤美枝子 高橋研一 細谷安彦ら 共訳 丸善株式会社
WIRED VISION
http://wiredvision.jp/news/200809/2008090922.html
クマムシゲノムプロジェクト
http://kumamushi.org/

(文責:永田 健一)