本当に「天才は1%のひらめきと99%の努力」なのか

本当に「天才は1%のひらめきと99%の努力」なのか

かのエジソンは「天才は1%のひらめきと99%の努力」と語ったとされているが、果たして。そこに天賦の才は無いのだろうか?

最近では、スポーツ界隈では為末大さんがこんな話をしていたのが話題になっていた。

おいおい、それをあんたが言うのかよ…と大きな話題になってた。

別の話題になるが、Twitterで見ていて面白いなと思った事がある。
ポケモンでの話のようなのだが「最大限努力することが前提の環境においては、個体差・相性などによって全てが決定してしまうが、一般的な人間なら、努力の量によって差を埋められます」
というもの。

為末大選手が言うのは、最大限努力するのが前提の環境の話だ。

さて、前置きが長くなったが、この才能について、実際にそんなものはあるのだろうか?とは誰もが思う所だろう。
この気になる部分について、研究者が遺伝学的なメスを入れた。


音楽的才能の有無、カギとなる遺伝子解明 研究 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News


 これらは、遺伝子が運ぶと思われるさらに多くの情報のほんの一部にすぎないが、いずれにしてもDNAで部分的ながらも音楽能力を説明できると論文の執筆者らは述べている。

研究が進んでいくと、人体の可能性についても徐々に分かっていくようになりますね。
究極的に言えば、才能を遺伝的に持ちあわせていない人に可能性がないのかという部分に議論が行ってしまうように思われますが、努力である程度までは達成される部分はもちろんあるのでしょうからやりたいフィールドで頂点を目指すというアプローチをする人はいなくならないでしょうし、遺伝学的な可能性を追求したいという人も現れるようになってくるのでしょう。

「それはチートでしょ」

逆に、遺伝子検査を行った過去があり、遺伝学的な優位性のあるフィールドで頂点を目指す人に対して、それなら仕方ないよねという風潮も生まれうる気がします。きっと、検査を行った過去というのはクローズドにはしておけないでしょうし(誰かがリークする可能性が0ではないので)そうなるとオープンになっていることを前提に生きる方がリスクは少ない。

世間の評価という意味では、才能を持つ人にも当然苦悩が与えられるのではないでしょうか。

まぁそれは今までも親の七光り的な面で多くの人が悩んできた部分でもあると思われます。

知るのが幸せか、知らないのが幸せか

サイエンスは進化していきます。

きっと人に関する謎も、究極的に言えば0へと向かうのでしょう。

僕自身は、そういう究極的な世界を想像するのが好きなのですが、その時に人間は何をどう感じ、どのように生きるのかについて思いを馳せてしまいます。

遺伝子的に才能を見つけられるという事について考えたことは無かったのですが、みなさんはこういう事が分かる事で人の生活がどのように変わっていくと思いますか?

個人的には、今よりは価値観というものが異なってくる様な気がしますね。

このようなアプローチについても、楽しみな世界がまだまだ残ってるなと感じます。

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募集分野
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