〔リバネスセンシズ〕格差を乗り越え、世界をつなぐプロジェクトを創出するひと(前編)

〔リバネスセンシズ〕格差を乗り越え、世界をつなぐプロジェクトを創出するひと(前編)

リバネスセンシズでは、リバネスメンバーのインタビューを通して、そのパッションを紐解き、実現しようとする個々の未来像をお伝えします。

武田 隆太(たけだ りゅうた)
 Ph. D.

専門分野:RNA生物学、分子生物学

(聴き手:佐野 卓郎)

2012年、私たちはアメリカ帰りの大型新人を迎えた。武田 隆太(たけだ りゅうた)さんは、海外展開を見据え始めていたリバネスの大きな期待を受けて入社し、アメリカを中心に海外展開を進めてきたメンバーのひとりだ。今回は、そんな武田さんに話を聞いてみた。

佐野:そもそも、なぜアメリカに留学したんですか?

武田:大学のとき、国内の大学院に進学しようと考えたんですが、そういうときってやっぱりWebで調べますよね。どの研究室も、研究などについて面白いことばかり書いてあるんです。まぁ、当然のことなんですけどね。どの研究が面白いか、選ぶことができなかったんです。そんなときに、先輩から「アメリカだったら、3つくらいの研究分野に踏み込んでローテーションできる。学費ももらえる可能性がある。」という話を聞きました。
もちろん、リスクもあります。日本で研究キャリアを歩まないわけですから、日本の研究者とのつながりは希薄になりますし、卒業してから日本で研究をするためのポストなどは狙いにくくなります。でも、その後アメリカに住めば良いかなと、軽い気持ちでアメリカに留学しました。

佐野:なぜリバネスに来たんでしょうか?

武田:もともと日本に帰るつもりはなかったんですが、家庭の事情もあり、2010年に日本に帰ることだけが決まっていました。予想通り、日本での研究者の知り合いが少なくて、日本でどんな研究をしていけば良いのかがわからずにいました。
もう一層のこと、場所もやることもガラッと変えてみようかなと思って、商社とリバネスの2社に絞って、それぞれで就職面談をしたんです。面談した結果、未来のことしか言わない社員を見てリバネスに決めました。「 30代を過ごすならここだ!」と。新しいことにチャレンジすることで、今まで自分がみたことがない景色が見えるかもしれないと期待しました。

佐野:リバネスにきて、まず、どのような仕事をしましたか?

武田:当初から海外に行く案件が多かったですね。大学の先生をシンガポールに連れて行き、医工連携の現状を知るような企画をやったりしました。そのほか、学生向けのアメリカでの研修プログラムや、企業の教育CSR活動で実験教室や展示などを企画する仕事をしていました。売上と利益の違いもわからずにいた頃ですから、それらプロジェクトのすべてに多くの学びがありました。
ただ、1年目は驚くほど仕事をしていませんでしたね。

佐野:周りが忙しそうにしている中で、自分だけ仕事がないと不安になりませんか?

武田:特にそんなことはありませんでした。仕事をしてみてわかっていたんです。1年目の自分は本当に使いものにならない人材だって。だから、2年目以降に活躍できるよう、どのように学び経験すべきなのかと常に考えていました。
あるとき、毎週月曜に行われる全社会議で、丸さんが営業の大切さについて話していたんです。自分自身の給与はどこから出ているのか。当時はちょうど東日本大震災の後だったので、そういった厳し目の話も多くされていたのかもしれませんが、そのとき私は「みんな営業が苦手なんだ」と理解しました。
そこで、上場会社を「ア行」から順に電話してアポイントメントを取る活動を始めたりしたんです。

 

後編