【読物】生物史を動かした細胞の機能 ~それは「死ぬ」こと~(vol.22)

【読物】生物史を動かした細胞の機能 ~それは「死ぬ」こと~(vol.22)

生物の最小単位である「細胞」。生物を細胞という視点から考えたとき、その活動はサイズを増す「成長」、数を増やす「分裂」、機能を獲得する「分化」、そして機能を停止する「死」に大別されます。この細胞の「死」は、傷害や異常によって細胞の機能が停止するということではなく、「自ら死ぬ」という重要な細胞の機能と考えられています。細胞死は個体の発生における形態形成や新陳代謝による恒常性の維持に働いていることは知られていますが、最近の研究により、生き物が地上に繁栄してきた歴史に大きく関わっている可能性がわかってきました。今回、生き物の歴史を動かしえた「死ぬ」という細胞の機能について紹介します。

キーワード:発生・細胞分裂・分化・恒常性・維管束・進化

自ら死ぬことで組織や個体を生かすという「機能」
~アポトーシスの発見~

そもそも、「細胞死」とはなんでしょうか。生物を構成する細胞はひとつひとつが生きています。呼吸を行い、エネルギーを作り出し、タンパク質の合成
や分解、様々な代謝機能を持っています。これらの機能が停止した状態の細胞が「死んだ細胞」とみなされます。そのような細胞の死に様を観察し続け、細胞がある決まったルールに従って死んでいることに気がついた科学者がいます。1972年、Kerrらは、「特定のプログラムに従って起こる細胞死」があると提唱し、アポトーシスという言葉を生み出しました。アポトーシスでは、核が断片化したり、細胞質の凝集が見られたりという共通の特徴を経て細胞が死に至ります(図1)。それは毒素や傷害に起因し、細胞質成分の細胞外への漏出を伴う「壊死」とは全く異なる死に様です。なぜ細胞は自ら活動を停止する機能をもっているのか、それはオタマジャクシの尾のように、不要になった組織や細胞を適切に処理したり、あるいはウイルスに感染した細胞が細胞死を起こすことで感染の拡大を防いだりという役割があることが知られています。このように「細胞が死ぬ」ということは、生物が生きるうえで重要な役割
を担っているのです。さらに、より広い視点で細胞死をとらえたとき、進化上とても大きな重要なイベントに関わっていたようなのです。

図2

植物の陸上進出を導いた細胞死

2014年3月、奈良先端科学技術大学院大学と理化学研究所、基礎生物学研究所の合同研究チームは、細胞死を起こす仕組みを獲得したことが、植物の陸上進出のカギとなったのではないかとする研究成果を発表しました。

植物が陸上進出する際、大きな壁として立ちはだかるのは「乾燥」と「重力」といわれています。そのため、効率的に全身に水分を輸送する通水細胞(道管や仮道管細胞)や、堅い細胞壁で植物体を支える支持細胞を獲得したことが、植物の陸上進出に重要であったと長らく考えられてきました。しかし、これらの細胞が陸上進出に本当に重要であったのか、あるいはこれらの細胞を作る仕組みが植物の進化上、いつ獲得されたのかについては不明のままでした。今回、細胞死こそがそのカギであることがわかりました。乾燥と重力に耐える構造を生み出すこと、それに細胞死が関与していたのです。

研究チームは、陸上植物だけがもっているVNSという遺伝子に注目し、コケ植物の一種、ヒメツリガネゴケでその遺伝子の機能を調べました。ヒメツリガネゴケのもつVNS遺伝子のうち、PpVNS1, PpVNS6, PpVNS7を同時に破壊すると、葉の通水細胞が形成できなくなるということを発見しました(図2)。そして電子顕微鏡で詳細に構造を調べると、本来起こるはずの通水細胞の細胞死が起こっていないことがわかったのです。また、同様に支持細胞の細胞死も起こっておらず、頑強さのもととなる細胞壁の厚さも50%ほど薄くなっていることがわかりました。このコケを乾燥条件下に置くと、たちまち葉がしおれてしまいました。つまり、このコケはVNS遺伝子に導かれて細胞死が起こることによって、乾燥条件で生きる力を獲得していたのです。

図3

また、コケ植物は維管束植物とは進化的にかなり早い段階で分かれたと考えられています。そこで、研究チームはこのVNS遺伝子に導かれる細胞死の仕組みが、コケ植物だけのものなのか、それとも維管束植物と共通のものであるのかを調べました。ヒメツリガネゴケと、維管束植物であるシロイヌナズナでPpVNSを強制的に働かせてみたのです。するとヒメツリガネゴケだけでなく、シロイヌナズナでも道管(死細胞)によく似た細胞が形成されました。維管束植物もコケ植物と共通の細胞死の仕組みをもっていることがわかったのです。この結果から、VNSによる細胞死誘導の仕組みは、植物進化のかなり早い段階(少なくともコケ植物と維管束植物の共通祖先)で獲得されていたと予想することができます。細胞死をきちんと起こす機能の獲得が、植物の陸上進出の重要なカギの一つであり、それが現在の植物の大繁栄につながった可能性があります。

意義や仕組みの解明はまだこれから

これまでに挙げただけでなく、例えばアルツハイマー病の症状が脳細胞の細胞死によって引き起こされることが知られており、糖尿病はすい臓β細胞が細胞死で失われることが一因である、あるいは自閉症も本来起こるべき脳細胞の細胞死が起こらないために生じているという仮説も提唱されています。このように、「細胞が死ぬ」ことが、生体としての生存においても、進化においても大きな意味があるということがわかってきました。一方で、その仕組みは複雑で、正確な仕組みの理解には道のりが長く、医療分野で細胞死を人為的に制御することは容易ではありません。アポトーシスが提唱されてから約40年、まだまだ細胞死の新しい意義が見出されるかもしれません。発生や細胞の仕組みを学ぶとき、分裂や分化だけでなく、「死ぬ」という重要な機能を細胞がもっているということを子ども達にも知ってもらえたらと思います。細胞は意思をもっているわけではありませんが、まるで周囲の細胞とコミュニケーションを取り、適切に細胞死を選ぶことで、周囲を活かすという選択をしているように見えてきます。

参考文献

Bo Xu et al., Science 343, 1505 (2014)
Contribution of NAC Transcription Factors to Plant Adaptation to Land